着るもの、食べる物、そのほか車や音楽について、人々はそれなりに感受性を高めてきました。それに比べると、住まいについてはかなり無頓着という状況が続いてきています。
なぜこういうことになったのでしょうか。それは、日本人にそうした素養が欠けているということではなく、住まいについて感性を磨く機会が、絶対的に不足しているためだと思います。
衣・食・その他について、私たちは多くの種類のものを試し、体験します。たまには一流のものを体験できる機会もあります。評価の高いものは複製頒布されて、より多くの人に共有されたりします。そうした経験を通して「目が肥えて」きたと言えるでしょう。
一方、住まいはどうでしょうか。多くの種類を体験することは容易ではありません。街にある住宅の多くは、空間の骨格にあまり違いがなく、本質的なバリエーションは少ないと言えます。
こうした住宅を何度か引っ越してもあまり豊かな体験にはなりにくいでしょう。自分の考えで家を建てることは最もよい体験になりますが、これは金額として何度も体験できるものではありません。一回きりの体験では評価を深めるのも困難です。
そこで、真に個性や特徴を持ったよその家を体験することが有効になりますが、そうした家は100軒に1軒あればいい方で、その家の持ち主と知り合いになって中を体験するということはめったにない話になります。また、いかに素晴らしい家があったとしも、当然ながら複製頒布などはありえないため、体験するには必ずそこへ出かけて行かなければならず、その良さを共有できる人は非常に限られてしまいます。