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| 日本人はどのような「もの」や「状態」に美意識を感じるのでしょうか。ここでは住まいの美について、少し歴史を紐解きながら考えてみたいと思います。 |
| 色の体験 |
| 「青丹(あをに)よし寧楽(奈良)の都に咲く花のにほふがごとく今盛りなり」。天平の昔、小野老(をののおゆ)が読んだ万葉集の短歌ですが、憧れにも似た色への思いからは華やいだ都の雰囲気と新しい時代の気分が読み取れます。最先端の渡来技術による白壁朱柱緑格子で色彩られた伽藍は色の少ない時代にさぞやまぶしく映えたことでしょう。 |
| ハレの象徴 |
平安朝以後人々は競って色を求め、たびたび奢侈禁止令が出されるほどでした。ところが、建築の世界では色の事情が少々異なります。日本には古来伊勢神宮に代表される白木造りの建物がありましたが、平安朝の寝殿造りなど日本独自の建物が発達するにつれ、次第に色の扱いに抑制がかかるようになります。
江戸初期に描かれた洛中洛外図からは都の風景を覗い知ることができますが、数少ない朱塗りの建物は木肌の街並みをバックにして鮮やかに際立っています。白木建築の象徴である天皇の建物でさえ政事(まつりごと)を行った場所は彩色され、信長の安土城や秀吉の黄金茶室など、色は非日常的な政治や祭事、つまり表舞台の象徴的な役割を担いました。
大まかに言うと、大陸仏教の極彩色と日本神道の白木が初期的な色の区分けでしたが、神仏混合により色は境界を失い、やがて建物の色は「ハレ」の舞台の象徴として日本に根付くことになります。 |
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韓国の景福宮(旧王宮):
今も極彩色に塗られ、古代日本の原風景に近似か |
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修学院離宮の中門: 「ケ」の系譜。凛とした佇まい |
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| 日本の美意識 |
一方、「住い」に代表される日常の空間、つまり「ケ」の系譜は白木の建築に繋がってゆきます。特に近世の住まいでは日本的な美意識の発展が著しく、これを極めたのが桂離宮や修学院離宮のような貴族の隠遁生活の場でした。桂離宮は平安朝の「源氏物語」の世界を再現し、月を愛でるために造られた八条宮智仁・智忠親王の住居ですが、高い精神性と透徹した美意識の空間は明らかにモノの世界を越えた世界に位置しています。
ドイツ人B・タウトは桂のなかに「無限性」を見抜きましたが、桂の価値は目に映る書院や茶室などの実態にあるのではなく、それらに切り取られ、極度の洗練が生み出した全体の緊張感と調和以外の何者でもありません。それは関係性、つまり余白そのものです。簡素にして最小限の材料でこの余白を切り取ってみせるモノの関係性にこそ日本の美意識の特質が顕在しているように思えてなりません。いわば余白の美意識ともいうべきものでしょうか。 |
| 余白の回避 |
| ところで、桂と同時代のヨーロッパの住いはどのように造られていたのでしょうか。ルネッサンスを生んだフィレンツエのピッティ宮やローマのビラ・デステなどの住まいでは、壁という壁、隙間という隙間が絵画・彫刻・大理石で埋め尽くされ、絢爛豪華な空間は圧倒的なエネルギーで見る者に迫ってきます。余白はまさに「無」以外の何者でもないかの如く、他者に道を譲る存在のようです。プラトンは白を神の色として尊びましたが、ギリシア文化の正嫡であるルネサンスであっても、壁の余白は恐怖症にも似た徹底さで排除され、形あるものが空間であり実存でした。 |
| 宗教観と美意識 |
| 日本の白は神道の「ケガレ」とも結びついた神聖な色と捉え、キリスト教では「青」を「天の真実」、「赤」を「天の愛情」と考えていたことから、どちらも根底には宗教観と自然観を横たえており、色を神の象徴として扱いました。宗教観の違いによりどこかで美意識が別れていったに違いありませんが、日本では「色=形」の裏側に、独自の美意識を見出していったのではないでしょうか。 |
住まいの話題[80]執筆者
■岩本 弘光(いわもと ひろみつ)/ (株)岩本弘光建築研究所 |