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長い時の流れを経て、なお存在感のある、そしていつしか人の記憶の中に残るものを表現していきたい。散歩の途中に、ふと足をとめるような・・・。
天気の良い日には自転車に乗って、街の中をフラフラと散策するのが好きだ。職業柄か住宅街を通れば、周囲の家々が気になってくるのである。あの家いいな。この壁と窓あっているな−。この屋根の勾配は感じいいな−。庭と建物のバランスがいいな−。どんな人が住んでいるのかな−。などとブツブツ、頭の中で独り言をつぶやいている。新しい建物でも、なつかしい建物でも、それぞれ気になるところがあるものだ。 |
| 赤いバラと黒い家 |
山の手の住宅地にその古いコンクリートの家がある。近くを走る環状線の排気ガスと風雨によって煤けてしまったのだろうか、黒い塊のようにも見える。しかし、この家の庭にはたくさんの真っ赤なバラの花が咲いていて、今時のコンクリート打放しのようなシャープさのないこの建物に、上品な温かさを与えている。でしゃばらず、ひっそりと上品に、そこに在る。今は黒いコンクリートのこの家も、当時はモダンハウスだったのかな?
ある時、そこに暮らすおばあちゃんが庭のバラの手入れをしていた。物静かで上品なその姿を目にしたとき、「あー、あのおばあちゃんの人生が、この建物の表情をつくってきたんだ・・・」と実感した。まさに、あの家はおばあちゃんの生き方そのもののような気がする。その歴史の上で穏やかな幸福感をただよわせている。
赤いバラと黒い家、おばあちゃん、なんとなく記憶から離れないのである。人(スピリッツ)、家(建築)、時(歴史)。つまり、家は人と時間が創るのである。 |
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| 坂道の家 |
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| うずまき猫の庭 |
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| 西向く家の風景 |
その場所には独特の光とふさわしい色(雰囲気)がある。ゆるく曲がった坂道の途中に、西向きのバルコニーのある家がある。そこに大きなガラスの窓がみえるが、バルコニーが坂の下からの目線を緩和している。その二階の窓ガラスには、夕焼けに流れる雲が映り込み、屋根のラインは背景の山々の稜線に溶け込んで調和している。
西に富士山と海を望むその地には西向きの家が多い。辺りが暗くなると、西向きの窓からやわらかい色の光がこぼれてきて、楽しそうな笑い声が聞こえる。しあわせそうである。この家のあかりには、帰宅途中の人々をホッとさせる温かさがある。
場所にはそれぞれの特徴がある。感じるままに建物に取り込んでいくことが、風景を取り込み、調和の建築を創りだしていくことになるのだろう。 |
| 心地よい家と街の関係 |
住宅は少し小さめに創りたいものである。玄関先には、花を植えよう。ちょっとしたテラスも欲しいし、休みの日には外でコーヒーを飲みたい。風を感じて、光を感じ、四季折々の花を見よう。鳥を見よう。空を見よう。
心地よさはそんな余裕からはじまるのである。子供たちが集まる庭、いいじゃないか。建物の内側と外側の程よいボリュームの関係(間)は、心と体をなごませる。小さな前庭でもその街の空気をつくるのだから、楽しもう。
建築はその場所から逃れられない。場との協調のみによって存在することが可能である。建築は人の意志(良識)によって創られ、守られ、存在し記憶されることによって感じ、街の風景となる。
土地の空気、場の雰囲気を損なわずして、風景に加える彫刻のような建築を創りたい。建築家としての仕事は、真に存在感のあるものを求めている。そして、いつしか記憶の中に残るものでありたい。 |
住まいの話題[103]執筆者
■樽井 健(たるい けん)/ Ken環境デザイン |