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私は幼年期を、まだ武蔵野の雑木林が点在する多摩川に近い東京のはずれで過ごした。いわゆるベットタウンといわれる開発が進む造成現場と雑木林が、私たちの格好の遊び場であった。
土をさわり、木に登り、草に寝転んだ。造成地の盛土から形成された山の頂上で辺りを見廻しては、谷で身を潜め這いつくばり土の匂いを嗅ぐ。そして土は水分を含む加減によって、「ままごと」の都合のいい材料となり、競っておだんごを作ることに没頭する。木に登れば、平地では見られない眺望が眼下に広がり、風を受け地表では味わうことの出来ない心地よさを感じる。背の高さ程に伸びた雑草の中で適度な広さに草を刈り取り、倒し、そして敷き詰め、そこに自分たちだけの快適なスペースを設け、青空を仰ぎ寝転ぶ。
自分たちの居心地のいい場所を確保すべく工夫をこらし、そこをベースとして遊びは展開された。時には、戦闘を模倣するものであったり、「ままごと」で生活の真似事を楽しんだりすることであった。そこでは楽しみも、悔しさも、痛みも、ルールも、子供同士で互いに学ぶことができた。
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| 子供部屋は本当に必要か? |
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戦後、欧米型の生活習慣がどんどん入り込み、日本の座った視点から立った生活視点へと移行し、生活空間も拡充化され続けた。家族の距離は手の届く距離から、声の届く距離へ、そして今や、目の届かない距離へと・・・・。当たり前のように確立された個室に、当然のごとく、子供や場合によっては夫婦さえ割り当てられる。
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RESIDENTIAL UNITS:
狭さを感じさせない広がりのある空間 |
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参道脇の長屋:
広いテラスが内外空間の緩衝帯となる |
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かつての日本家屋は襖や障子といった部品をうまく構成することによって、何百年もの間、四季や何世代にもわたる家族構成にフレキシブルな対応をしてきた。個室を設けることに反論するつもりはないが、本当に個室は必要なのだろうか? 子供たちに自分たちのスペースを与えることの必要性はあると思うが、隔離した壁で囲まれた声の届かないスペースへ放っておくのは、少し危険ではないだろうか?
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| 家までファーストフードでよいか? |
| 家族構成が変わるたびに、世代が代わるたびに、スクラップ&ビルドを繰り返す現状は、とても先進国がすべき利口な方法とは思えない。売上優先市場主義を繰り広げる住宅産業が創り出すファーストフードのような即席住宅は、一見、明朗でクオリティの信頼性があるかのようにみえる。でもそれらの住宅では、スローライフに根ざした長期的ビジョンに基づいた展開や応用は何も期待できない。 |
| 都市型住宅それとも要塞? |
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近年、都市型住宅と称して、拘置所のような高い塀を敷地一杯に設け、外部からの情報を遮断し、プライベートスペースだけを独立国家のごとく確立させた住宅が見受けられる。
一戸の建物として、それは都市における一つの答えであるかもしれないが、街区を形成する建物としてはいかがなものであろうか。パブリックとプライベートは一線によって仕切るのではなく、できれば緩衝帯としていくらか曖昧に構成させた方が、街並みとしてより整った美観的なものになるのではないだろうか。自分たちのスペースを囲うのではなく、いくらかでも開放することによって得られる付加価値をもっと理解し協力するゆとりが持てれば、街はコミュニティとしての役割を担い、生活しやすく発展するだろう。
その意味で、都市に建つ住宅は、将来の生活ビジョンや子供部屋の在り方も含め、かつて幼い頃に親しんだ雑木林の秘密基地のような「場」の雰囲気を少しでも持ってほしいと考えている。
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住まいの話題[177]執筆者
■澤口 直樹(さわぐち なおき)/ (株)吉富興産一級建築士事務所 |