■住まいの話題[195]:明日の住宅考:ベルリンと軍艦島
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厳冬のベルリン
2001年から02年の年末年始をベルリンで過ごした。世紀の変わり目の翌年だったものの、通貨がマルクからユーロに切り替わる歴史的な瞬間に立ち会った。大晦日のカウントダウンまでは寒さに凍りついたように静かだった街が、時報と共に花火と爆竹で一気に祝祭の色に変化した様はあまりに劇的で感動的であった。そのベルリン滞在中に宿泊した家具職人の家は、1920年代に建てられた5階建ての都市住居の最上階で、窓からは取り留めの無い鉛色の空を刺すテレビ塔が望めた。都心から極めて近いのだ。
80年前と同じ
ある日お世話になっているお返しにとお手伝いを申し入れたところ、地階の倉庫から暖房用の固形燃料を階段で5階まで運搬する作業を任された。その場では強がって平気な顔をして見せたが、相当な重労働であった。冬場はこの運搬を週2回の頻度でやっているという。また固形燃料は5時間程で燃え尽きてしまうため、翌朝まで持続させるには早朝に起きて燃料を追加するという手間がかかるのだ。エレベーターも無く、陶製タイルで装飾された80年前の石炭ストーブを暖房に使っている住宅は、東ベルリンでも稀有な存在になりつつあるようだが、住人はその不便さを決して苦にはしていなかった。
軍艦島

それが冬だったのか夏だったのか、記憶からは確定することができなかった。端島(特異な外観から「軍艦島」とも呼ばれる)の地理的な条件や人工物に覆われた島の環境からか、否そのあまりに刺激的な光景が季節を感じる余裕さえも奪っていたに違いない。

ベルリン:80年前の住宅と上手に付き合う 軍艦島:孤島の超過密都市
端島における集合住宅の住環境は知識としては知っていたが、その凄まじさを現地で体感し驚愕した。一日中陽のあたることが無いと思われる陰鬱な下層の住戸を覗いたとき、強制労働や過酷な労働環境といった炭鉱の影のイメージと相俟って一瞬、眩暈がした。見てはいけないものを見てしまった、そんな気がした。
暗闇を照らす光
軍艦島探訪と前後して日本各地の鉱山施設や廃墟を訪れた。北海道では炭住(炭鉱労働者の住居)に宿泊する経験もしたが、軍艦島の衝撃を越えるものではなかった。あの日覗いた薄暗い住戸の湿り気と根拠の無い炭鉱の負のイメージが頭の中で醸成されて、とてつもなく暗い過去の断片として膨張を続けていた。

しかし後日、閉山前の島の写真を見て認識が変わった。そこには活き活きとした日常生活があり、人々の笑顔の中には、黒いダイヤと呼ばれ国の繁栄をも左右した炭鉱という職場に対する誇りさえも滲み出ていた。網膜に焼付いたモノクロームのスチールがカラーの動画になって流れ始めた。僅か30年程前まで、そこには夢のある人々の営みが確実にあったのだと。
住宅の向かう先

こどもの頃「未来の人間」といった奇怪な予想図を見た。脳は肥大化するものの流動食で顎が退化して頭は逆三角形になり、移動を機械に頼った結果、脚や体は退化していくという様なものだった。そんなものはウソか遠い未来のことと思っていたが、近年の生活環境の変化や日本人の体型、体力の推移を見ていると意外と近い将来のようにも思えてくる。

日本の住宅は確実に、広く衛生的で便利にはなってきたが、便利なモノの濁流に飲み込まれて足元が見えなくなっているようだ。濁流からズレたベルリンと軍艦島から、そんな日本の住宅の行く末を夢想してみた。便利なモノが流れ着くその先には、少々グロテスクな「未来の人間」がニヤリと笑みを浮かべて手招きしている。

住まいの話題[195]執筆者
■木下 勝茂(きのした かつしげ)/ 木下・萩生田建築設計事務所

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