■住まいの話題[212]:「僕の伯父さん」の家
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"白い家"と"迷路の家"
1958年のジャック・タチ監督による「僕の伯父さん」というフランス映画には2つの家が出てくる。ひとつはジャック・タチ扮する主人公ユロの甥っ子「僕」が住む超近代的な"白い家"、もうひとつはユロが住む古い街に建つアパルトマン風の"迷路の家"である。

"白い家"はシンプルでモダンなデザインとともに、現在となってはあたりまえの設備であるが、オートロックで開閉する門扉やスイッチひとつで水が出る噴水、電動式システムキッチンなど、さまざまな電気仕掛けの装置が備わっている。一方、"迷路の家"は薄汚れていて、ユロが自分の部屋にたどり着くために、隣近所の部屋を通過しなければならなかったり、階段を上がったり降りたり、見るからに非合理的な家である。

"白い家"では、お金持ちの厳格な夫婦と近所の独身女性との見栄の張り合いが描かれ、"迷路の家"では、人間味あふれる親密な近所付き合いが描かれている。"白い家"に住む「僕」は堅苦しいモダンな世界よりも、笑いやいたずらのある自由なユロの世界に魅力を感じている。映画はユロの機械に対する戸惑いと機械を相手に繰り返すさまざまな失敗を面白おかしく表現しながら、二つの世界を行き来しながら進んでいく。

これだけではモダンな世界を否定した映画のように思えてしまうが、ジャック・タチはモダンな機械に対する戸惑いと、それに踊らされる人間の滑稽さをアイロニカルに表現しながらも、同時にモダンな世界に対する賞賛を描いているように感じる。それは"白い家"でユロが繰り返す失敗が笑いを生むからなのか、あるいは工場や車、"白い家"のデザインが素晴らしいからなのか、何故かはよくわからないが、未来への明るい希望のようなものを感じるのである。
大きな吹き抜けと中庭のある家 テラスハウス、SOHO、高齢者向け住宅が
一体となった集合住宅案
性能と建築の価値
住宅設備の最新製品を見ていると、ユロと似たような戸惑いを覚える。自動水栓、自動便器、自動コンロなど、常に新しい製品が発表される度に驚かされる。

最新の自動コンロは、例えば、ハンバーグを焼く時に火力をコンロが勝手にコントロールして誰がつくっても同じ火加減で調理ができる。自動便器は便器に近づくと自動的に蓋が開き、お尻を洗浄してくれる。お風呂のお湯はりはボタンひとつでできる。

こんな機能は余計だと言い放ち否定したいところだが、それを論理的に否定するだけの十分な理由を見いだすことはできないのではないかと思う。なぜなら現在の生活は、すでに当然のように余分な機能に満たされ支えられているからである。程度の差こそあれ、今は戸惑いがあるものも、時間とともに次第に受け入れていくことになるだろう。利便性や性能を否定するのは、現代の世界に生きている限り難しいことなのである。

しかし、建築の価値が利便性・性能のみで決定されるということには反対したい。もちろん、性能は建築の価値を決める大事な要素であるが、日本における性能至上主義は少し行きすぎているように思う。

建築家に求められるのは、定量化できる利便性・性能などの数的な範疇を超えた価値を見いだしつくりだすことではないだろうか。性能が劣って多少不便な家でも、それを超えるような価値を生みだすことができればよいのである。それは、光や風と建築との造形的な関係であったり、社会と建築の関係であったりと、いろいろなことが考えられる。上に示した写真とスケッチは、私が試みているそうした建築の例である。

ジャック・タチの描いた、一見性能至上主義的に見える"白い家"も不便そうに見える" 迷路の家"も、定量化できる価値を超えた別の魅力を備えている。その意味で、「僕の伯父さん」の"白い家"も"迷路の家"も、どちらも素晴らしい建築であると思う。
住まいの話題[212]執筆者
■清水 徹(しみず とおる)/ ea

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