■住まいの話題[236]:蟻と荒川修作
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建築・住宅への想い
住環境についての関心が高まり、今までの住宅に満足せず、自分らしい家を求め建築家に頼む人が増えたことは嬉しい。このサイトを見ていると、よくもまぁ、これだけたくさんの建築家がそれぞれに語り部となり、住宅への想いを語っていることに驚く。最近のクライアントはすごく勉強して、我々建築家もおちおちとしていられないから当然のことかもしれない。住宅本体のこと、室内環境のこと、分析に基づいているもの、町並みのこと、施工のこと、住む人々のことなどなど。語り口こそ違うが、その熱い想いは十分伝わってくる。しかし、それはそのまま現在の住宅を取り巻く状況の縮図となって現れ、ある種の閉塞感も感じる。
荒川修作へ、
住宅雑誌などに載っている家は、いろんな創意工夫を行っている。しかし(我々も載せてもらっているのだが)どれも同じように見えてしまう気がしてならない時期があった。そんな思いから、ニューヨークの荒川修作の許へ行こうと思った。荒川修作は、戦後アメリカに渡り国際的な評価を得た数少ない日本の現代芸術家の一人である。40年以上にわたりパートーナーのマドリン・ギンズとともに活躍している。70年代に芸術家、特に画家として不動の地位を得たにもかかわらず、描くことをやめ、建築それも住宅に熱意をそそいでいる。

建築への希望が薄らいでいた私には、偉大な芸術家がすべての芸術を否定してまで建築に向かっている姿に憧れた。「死なないために」「宿命反転」などちょっと不気味な言葉を使う彼らの建築は、むしろ哲学の世界で議論される。その思想は身体論ともいえ、その住宅は身体のための道具として位置づけられる。「死なないために」といっても肉体はいずれ滅びる。例えば、働き蜂は共同体を作っていて、敵からの攻撃に死をもって抵抗する。それは自分を外在化することで生涯を全うできるということかもしれない。
荒川氏のソーホー(ニューヨーク)のオフィスから:
かつてはワールドトレードセンターが見えた
かどのいえ:
角地での建ち方をスタディした
「住宅は身体のための道具である」、このことは私にとって示唆に富むものとなった。自殺や少年による少年の殺害、監禁など奇怪な事件が起きている。その要因の一つに身体から感じることの欠如があると思う。建築は身を包むものであるから、本来身体から伝わるべきもので、建築とくに住宅の担っている役割は大きいはずだ。建築はもっと直接的に責任を問われるべきだと思う。荒川氏から学んだことは、自分の思想を持つこと。そうすれば、上述したような不安はなくなる。
空気感
先日、花見をした。満開の桜のもと幔幕を張れば、そこは最高のもてなしの空間に早変わりする。日本人はそのような空間変容を得意とする種族だ。古来、仮の住処を良しとし、空間は移ろうものだという日本人の空間感覚は、仮設的で気軽でいい。私はどこかで、住宅は雨風がしのげればいい、と思っている。様々な技術を否定するわけではない。積み重ねられてきた知恵の上に新たな住処を築きたいと思っていて、その様相は複雑になるかもしれないが、気持ちは軽いものにしたいのだ。
蟻が、
花見の時、ベンチに座る隣の女の子が足の置き場に困っていた。蟻がたくさんいて踏んでしまいそうだという。ふと地面に目をやると蟻が動き回っている。「子供の頃は毎日このように蟻を見ていたのに、いつの間にか見なくなった、蟻がいなくなったのではなく見ようとしなかったんだね。」なんて話ながら、ゆったりとした心地いい時間を過ごした。そうやって蟻を眺めていると、蟻は自分を外在化しているように思える。蟻は「死なない」ことがわかる気がする。工事中の住宅の現場には当然、土がある。でも蟻はいない。完成して人が住み、蟻もどこからかやってきて棲みつく。気持ちのいい空気感が立ち込める住宅を創りたいものだ。

荒川修作の難解な建築に共感し、雨風しのげればよく、仮設のような気軽さで、気持ちのいい空気感をもつ住宅を創りたいというと、支離滅裂に聞こえるかもしれない。実のところ、まだ私にもわかっていない。
住まいの話題[236]執筆者
■山口 尚之(やまぐち なおゆき)/ タステン一級建築士事務所

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