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| 隠すか見せるか |
住宅はいつからか、プレファブでなくても、既製の部品の取り付けや組み立てでつくる部分を多く持つようになった。既製部品は同じ性能のものを現場で製作するのに比べ、はるかに安価である。しかし、いくら生産システムが進化し少量多品種化が進んでも、優れたデザインの部品に出会うことは少ない。
住宅をつくりながら、既製部品の扱いについて悩むことがしばしばある。それをいかに目につかないように処理するかの方法を悩む以前に、そもそも、隠すのがいいのか見せていいのかを考えてしまう。
かつて住宅が完全に一品生産品であった時代のように、既製の部品を使わずあるいは巧みに隠蔽してつくる方法がある。そのようにしてつくられた空間の心地よさを知っている。逆に、必要なものはあるものとして見せ、既製部品の即物的な使用を積極的な建築表現とする方法がある。それを潔いと感じることもある。しかし、今のところそのどちらの方向にも傾くことができないでいる。
アルミサッシは代表的な既製の建築部品であり、性能のわりに安い。決して最良の美しい窓枠とはいえないので嫌がる建築家も多いが、あまりにありふれた部品であるがゆえに「なんでもない」窓をつくることができる。
写真1の住宅は、開き窓のサッシを多用し、また外壁面からの枠の出寸法を調整し、外壁面とガラス面、ガラス面同士の面違いを少なくしている。どこにもありそうで、どこか普通の住宅と異なる表情になったと思っている。 |
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| 写真1:アルミサッシを使った立面 |
写真2:既製部品を建築になじませる |
| 写真2は、同じ住宅の空調部分である。壁埋め込み型のエアコンのグリルは、なぜか各社横並びの凡庸なデザインセンスをみせているが、非常に優れた機能をもっている。リモコンの電波を遮ったり、ショートサーキットすることはない。風向調整の羽根が動きまでする。こんなグリルは現場ではつくれない。ここでは、グリルの取り付く壁面を少し落して納まりをよくし、製品の生々しさを軽減させることを試みた。このような用い方で、既製部品と「うまく付き合う」ことを考えている。 |
| 現代の住宅の心地よさ |
想像力が追いつく限り、隅々まで検討した上で形にすることは建築家の仕事だと考えている。想像力が足りない分は諦めるほかないが、細部まで自身の感覚と照合する労力は惜しみたくない。しかし、その労力をモノの美しさの盲目的な追究に向けることには違和感をおぼえる。上記エアコンの処理の方法も、よりきれいにおさめるやり方は確実にあるだろうが、それを極めた先に何があるのか見えないので、深追いはしていない。
既製部品を多用する住宅のつくり方は、良くも悪くも現代のやり方である。サッシもエアコンも冴えない見た目を含め、まったく現代的な住宅部品である。これらを隠さず用いることが即、現代的な住宅をつくること、などとはいわない。だが、これらの存在がまったく感じられない状態が、現代の住宅の心地よさであるとも思わない。
現代人は、ある1日をとりあげてみても様々な世界を生きている。本来の自分の姿がどれだかわからなくなるくらいが、いまやむしろ自然である。そのとき、住宅だけは単一の方向をみつめる完結した世界をめざすのだろうか。
住宅は、もっといろいろな事物を受け入れる許容力をもってよい。少々無粋な部品が入り込んでも、なお成立する全体性が獲得されるべきだ。それが単純明解な全体にならないであろうことは予想がつく。だが、その複雑さこそが現代の心地よさではないだろうか。
既製部品を全く否定するのでも積極的な表現とするのでもなく、コストや性能を評価しつつ工夫をしながら慎重に用いる、というくらいがいいと思っている。既製部品とのそのような付き合い方は、住宅に現代の建築としての強さとしたたかさを与える、意外に重要なファクターだと考えている。 |
住まいの話題[240]執筆者
■石井 大(いしい だい)/ タステン一級建築士事務所 |