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| 昼下がりの電車 |
久しぶりに昼下がりの電車に乗り合わせました。朝夕の通勤電車とは違い、昼間の電車の中はのんびりした空気が漂い、つい眠気を誘われるようでした。私はドア傍に立ち、流れる景色をぼんやりと眺めていました。傍には青年が立っていました。
しかし、どうも青年の立つ位置が気になります。ラッシュ時ならまだしも、乗客のまばらな電車の中にしては私の立つ位置と青年の位置が近過ぎるのです。誤解しないで頂きたいのですが、ここで痴漢の話をはじめようとしているのではありません。人との物理的距離はその場の居心地に深く関係してくるということです。私は電車を降りるまで、とても落ち着きませんでした。
最近、この青年のように、人との物理的距離感覚に無頓着な人が多くなったように思います。成長過程で距離間を学習する機会が少なかったのでしょう。多分、精神的にも人との距離をとるのが不得手なのではと想像します。 |
| 家族の距離 |
部屋同士が建具で仕切られた家や廊下をはさんで部屋が並んでいた時代の家は、家族といえどもお互いの気配に配慮しながら生活していました。個人の自由気ままな生活は許されません。我慢も強いられました。しかし、このプライバシーに欠けた生活空間が、物理的にも精神的にも人との距離を学ばせたのでしょう。人間の目には見えない形でプライバシーを守ろうとしたのです。
経済的に豊かになった現代では、子供達がそれぞれに個室を持つことが一般化しました。子供達は他の家族に気兼ねすることなく、好きな時に好きな音楽を聞いたり、自由な生活を楽しむことが可能になりました。しかし、便利な生活は他人に関心を持つことも忘れてさせてしまいました。皮肉なことに、プライバシーのない(距離のない)生活空間は人との距離を育て、プライバシーを確立した(距離を確保した)現代の生活空間は、人との距離感覚をすっかり鈍らせてしまったようです。 |
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吹抜けに架かる「橋」が "離れ"を意識させる |
大きなテラスをはさんだ2世帯住宅 つかず離れずの関係をつくる |
| 隣人との距離 |
昔の家には廊下があったように、どの家にも縁側がありました。縁側は日常の生活空間である部屋と庭とを結ぶ中間領域で、南側に配置されていることが多く、掃き出しの窓で構成されていました。隣人は庭伝いに縁側から気軽に訪ねてきます。いつでも入って来れるのですから、ある意味ではプライバシーがありません。しかし、格式張らない、かといって互いに失礼にあたらない程々の関係を縁側で育むことが出来ました。
敷地が限られた現代の住宅では、外部の人間に開かれた「開口」は玄関だけです。隣家に立ち寄るにも玄関をノックしなければなりません。昔の風情が残る下町でもない限り、気軽な隣人関係も難しくなってきました。 |
| 現代版中間領域 |
このように、現代ではすっかり影をひそめてしまった廊下や縁側は、建築的には内部空間同士を結ぶ中間領域であったり、内部と外部を結ぶ中間領域とよばれる空間でした。しかも、家族や隣人との関係の中で、程よい距離を作り出す重要な緩衝地帯でした。
現代の限られた床面積の中で、廊下や縁側にあたる中間領域をそのままの形で生み出すには厳しいものがありますが、現代的解釈で二次元、三次元を含めた現代版中間領域を住宅の中につくり、家族や隣人との距離のバランスを考えていければと思っています。また、限られた空間であるからこそ、なおさら、この中間領域が豊かな魅力的な住空間を作り出すポイントにもなっていくでしょう。
元気な団塊の世代が夫婦二人の生活に突入しつつあります。四六時中鼻つきあわせた生活では、険悪なムードにもなりかねません。限られた空間の中ですが、中間領域を少し発展させた“離れ”でもあれば、互いの関係も修復しやすいのではないでしょうか。 |
住まいの話題[242]執筆者
■加藤 茂子(かとう しげこ)/ ネットワーク・オニオン一級建築士事務所 |