■住まいの話題[246]:わたしの空間観
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浮世絵の空間
ある日ふと、浮世絵の美人画について、どうして背景にはなにも書かないで白いままなのだろう、西洋の油絵だとキャンバスにまんべんなく筆を入れるのに、なぜ白い余白を残しているのだろうと考えていたら、もしかしてこれは、着物の模様だけを強調したいからなのかもしれない、と思いつきました。

背景は真っ白、顔は輪郭と目鼻口が適当に書いてあって、あとは着物の模様がひたすら緻密に描かれている。美人画なのにどうにも美人に見えないことなどから、これはむしろ、着物の模様を鑑賞する為の絵として解釈したほうが自然だろうと思いました。さらにおし進めて、キャンバスの白い長方形の上に緻密な書き込み部分がどのようにレイアウトされているかという、単なる構成のみを主題とした一種の抽象絵画として鑑賞することすら可能だと思いました。

デザインの集中した部分が、なにも無い余白のような空間に、フッと浮かんで点在している。もはや美人画であることや、緻密な部分が着物であるといったことが、抽象化されて意味を持たなくなっている、そこまで考えたとき、これをそのまま建築の美しさに置き換えることが出来ないだろうかと思いました。
東松家住宅
とはいうものの、漠然としたイメージしかなく具体的にどうすればいいのか、まるで見当がつかないままだったのですが、明治村に東松家住宅という町屋があり、これを見たときに、あ、こういうことなのかなと思いました。

薄暗い建物の奥に3層分の吹き抜けがあるのですが、その吹抜けに面して、格子窓、連子窓、下地窓、無双窓、窓台付き開口部、欄間、等々たくさんのいろいろな開口部がパラパラとレイアウトされていました。吹き抜けの奥の方では壁面が斜めに折れ曲がったりしていて、それらの要素が真壁の柱型の線と合わさって、複雑な構成をつくっているのが一望できました。
東松家住宅の吹き抜け
東松家の場合、この吹き抜け空間に、住宅全体のうちのほとんどの意匠が集中しています。均一に筆を入れる油絵的空間とは別の、ある部分に意匠を極端に集中させる浮世絵的空間とでも呼びたくなる吹き抜けでした。そこでは、窓がまるで標本かカタログのように寄せ集められていて、そのことが逆にこれは窓であるという印象を薄れさせ、単なるグラフィカルな模様の陳列のようにも見えてきます。

窓というと通常、壁の向こうを眺めるため等の機能的側面をイメージしますが、ある状況に置かれると、あの美人画の着物のように、空間のなかをフッと漂う抽象化された部分となりえるのでした。
わたしの空間観
東松家の吹き抜けでみた美しさを、日常の空間でも表現できないだろうか、そのために、どこに意匠を集中させるのか、あるいは、どこに意匠を集中させないのか、つまり、意匠を粗密の分布として捉えることを考えています。

通常の住宅の内装についてみてみると、床壁天井はそれぞれ単一の材料で仕上げられていて、これは「粗」となり、建具やその枠まわり・作りつけ家具といった部分が「密」となり、もっと「密」な部分として照明器具・壁に掛けられた絵・テーブルの上の花瓶などの備品があります。大抵の住宅について、豪邸から狭小住宅まで、モダンから和風まで、総工費やテイストの違いはあっても、この粗密の分布の仕方がほぼ共通していたりして、これを恣意的に操作してやることに意匠の秘密があるのかもしれません。

それともうひとつ、機能的側面に捕らわれすぎないこと、たとえば窓は窓として機能する存在以外のものとなれることについてですが、これはもしかすると、「おい、美人画を描いてくれよ」と頼まれてまっとうな美人画を描きながら、同時に裏で抽象絵画としても成立する美しさをこっそりと組み込んでいた江戸時代の絵師にならって、ひそかに実行してひとり自分の心の中で誇るべき類のものなのかもしれません。
住まいの話題[246]執筆者
■新田 有平(にった ゆうへい)/ マチデザイン

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