■住まいの話題[262]:しつらい
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暑気と節気

今年の夏は、クールビズと称してネクタイを外した朝帰り風お父さんスタイルが推奨されていましたが・・・。服装は生活様式と一体なので、急に服装だけ変えろと言われても無理なのでしょう。頑張って涼しいふりをする、みたいな痛々しさが哀しく見えます。そんな光景を見て、ふと思ったのが、季節感は気候に合わせて得られるものではなく、季節に応じて自分でつくりだすものではないのかなと。自ら区切りを設けることで、気持ちから先に変えてゆく。

陰暦では、四季をもたらす太陽の1年間の動きを二十四等分に分けて「二十四節気」としています。春に立春・雨水・啓蟄・春分・清明・穀雨。夏に立夏・小満・芒種・夏至・小暑・大暑。秋に立秋・処暑・白露・秋分・甘露・霜降。そして冬に立冬・小雪・大雪・冬至・小寒・大寒。また、生産や生活上の特別の季節を示すものに「雑節」があります。節分・彼岸・八十八夜・入梅・半夏生・土用・二百十日等です。それから、季節の替わり目に食物を神に供え災難を避けるという風習に、人日(じんじつ)の節句または七草の節句、上巳(じょうし)の節句または桃の節句、端午(たんご)の節句、七夕(しちせき)の節句またはたなばた、重陽(ちょうよう)の節句という「五節句」があります。さらに、私も子供の頃は十五夜に月見団子供えたりしてました。これら全ての区切りに住まいのしつらい(設い)を変えるわけにはいきませんが、春夏秋冬の違いはあってもよさそうです。

涼気
梅雨の終りのある晴れた日、我家のクーラーはダウンしました。私はクーラーの効かない数日間、涼の取り方を考えていました。去年は、気分転換に風鈴を吊していました。音の涼やかさは心地よく、子供の頃の夏が思い出されて郷愁に浸れます。夏休みの中頃の感じ。今年は障子を外して簾を吊ってみました。普段は障子で遮光しています。障子を透して入ってくる光は涼しげですが、景色が遮られることで閉塞感は避けられません。雪見になっているので半分開けてみたりしますが今一つ。簾よりも本当は簾戸といきたいところですが、急に思い立ったので今回は間に合わせ。簾の歴史は古く、万葉集の中にも登場します。西陣の虫籠窓というわけにはいきませんが、いい眺めです。窓の外に広がるテラスに打ち水をして、冷えた空気を採入れてみました。
障子を閉めたところと雪見の様子 開放した様子と簾を透してみた景色。
手前にあるのはアルミ製テーブル。
といっても、ここは9階で風が強いためガラスの屋内側に吊っていて、風を採入れられるのは一部だけ。でも、なにより見た目が涼しい。天然葦を糸でつないだだけなのに、風で揺れる様は、枯れた感じより爽かさを伝えます。高層ビルが立ち並ぶ都会の風景も適度にぼやけて和らぎ、風情があります。夜は醜悪なネオンサインが隠されて、蚊取り線香でも焚けばちょっとした田舎の雰囲気です。蚊帳も吊りたくなります。簾の手前には自作アルミ一枚板の書見台。水たまりをイメージしたもので、これも涼をとるには役立っています。しかも触れると実際に冷たい。簾はかなり気に入ったので、バージョンアップして来年の夏には簾戸を用意したいと思います。
しつらい(設い)
日本の住まいにおいて、季節毎に外部との仕切方・境界の在り方を変えるというのは、気候の変化からくる必然性もあるでしょうが、「しつらい」に室礼の当て字もあるように、気分を切り替えるという儀礼的な要素も大きいでしょう。これは現代の生活では失われていることです。簡便さと実利に流されて忘れてしまっているような気がします。近年は、気候が変化してきて四季の区切りが曖昧になっているようですし、なかなか衣替えのタイミングがとれません。増やした収納には、衣替え仕損なった衣服が四季折々場当たり的に吊されてしまいます。

そういえば、ロンドンは様々な人種が生活していることもありますが、一年中半袖の人とコートを纏う人が混在しています。日本、というか東京もそうなるのでしょうか。私はそうなって欲しくないと思います。季節を感じることは、細やかな感性がなければ出来ません。二十四節気を感じて表現する言葉は美しく豊かなものです。受け入れざるをえない変化もあるし、こんなことで地球温暖化が止るわけでもありません。しかし、こんな気候になってきたからこそ、風土に根差した文化を失わないために、住まいの「しつらい」に気を配りたいものです。
住まいの話題[262]執筆者
■斎藤 繁一(さいとう しげかず)/ (有)ソフトセル建築都市環境研究所

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