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| ‘ウチ’と‘ソト’の関係性 |
内と外、人と外、人と建物、人と物・・・。これらの関係性を改めて考え直すこと。これはボクが設計する際にとても大切にしているテーマのひとつです。数年前、京都の寺社仏閣や茶室を巡る旅をしました。その先々で畳の間や濡れ縁に座しては庭園をボーッと眺める、ただそれだけを繰り返すとても贅沢な旅でした。どこまでが建物(ウチ)でどこまでが庭園(ソト)なのか全く意識させない、意識できないことの心地良さをリアルに体感できた旅でした。
この旅以来、それまで以上に‘ウチ’と‘ソト’との関係性を強く意識するようになりました。建築とは‘ヒト’を‘ソト’から隔離する行為ではなく、‘ヒト’と‘ソト’との新たな関係をつくり出す行為であり、建物とは‘ヒト’と‘ソト’とをより素敵に面白く結ぶ「繋ぎ役」のようなものでありたいと思っています。 |
| ‘ソト’との距離感 |
断熱材と気密材、空調設備などにより年中一定の温度と湿度にコントロール可能となった箱。箱の外で起こるリアリティは箱の内には何の不自由ももたらさずにただバーチャルな映像として窓に映る安全な箱。そんな箱がいつから快適とされるようになったのでしょう? それが‘ソト’との快適な距離なのでしょうか? 空の色、雲の形、太陽の光、雨の音、風の香、暑さ寒さ・・・、‘ソト’はいつもそんなリアリティで溢れています。昔はこれらのリアリティを感じることこそ「いとをかし」な贅沢だったはずで、それが‘ソト’との快適な距離だったのでしょう。
昔とは社会基盤そのものが異なる現在、‘ソト’との距離感が変わってしまったのは必然かもしれません。でもそんな現在だからこそ、今のそれとも昔のそれとも異なる、新しい距離感をつくり出すチャンスだとも感じています。新しい距離感で‘ソト’を感じる、そんな遊び心がきっともっと面白い空間を生み出すような気がします。 |
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house N:2F子供室より ‘ソト’を介してリビングを見る |
house N:1F洗面室より ‘ソト’を介して書斎(左)と寝室(奥)を見る |
| ‘ソト’を感じる空間 |
ボクが想う「‘ソト’を感じる」とは、ただ窓を大きくするとか、周囲に対してやたらと開放することではありません。極端に言えば、周囲に対して閉じた空間であっても‘ソト’を感じることは必ずできると思っています。‘ソト’の感じ方も色々です。光を感じるのか?風を感じるのか?目で感じるのか?耳で感じるのか?直接的に感じるのか?間接的に感じるのか? それを明確に定義するのは難しいけれども、敢えて言うなら、何かしらの‘ソト’的な要素を、周辺環境と住み手のライフスタイルにあった何かしらの形で、バーチャルとしてではなくリアリティとして感じること。
そんな空間とは、きっと京都の旅で体感したような‘ウチ’でも‘ソト’でもなく、同時に‘ウチ’でも‘ソト’でもあるような不思議で不明瞭な空間ではないかと思っています。 |
| house N |
この家の真ん中は‘ソト’です。上を見上げると正方形に切りとられた空を独り占めすることができます。周囲の部屋を結ぶ室内動線はあるけども、天気の良い日はもっぱらこの‘ソト’が廊下に変身します。ただし、書斎への室内動線はありません。書斎へはこの‘ソト’を通らないとたどり着けない仕組になっています。つまり、この書斎は母屋に位置しながらも事実上の離れというわけです。
雨の日には「濡れる」という容赦ない‘ソト’のリアリティと向き合うことになります。家族で唯一の愛煙家である書斎の主を隔離したいと願う家族の要望と、通常は煩わしく思える「濡れる」という行為を敢えて楽しもうとした住み手の遊び心あっての計画でしたが、結果的に面白い‘ソト’の感じ方を生み出しました。
竣工1年後に訪問した際に色々とお話をお伺いしましたが、嵐の日の稲妻の恐怖はさすがに凄いものがあるそうです。それでも‘ソト’を感じることを優先し、稲妻が最も差し込む2階リビングの大窓には未だ敢えてカーテンを設けていないとのこと。住み手独自の新しい‘ソト’との距離感が生み出されたような気がして嬉しく思います。 |
住まいの話題[456]執筆者
■安河内 健司(やすこうち けんじ)/ 一級建築士事務所group-scoop |