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| アトリエを作る |
表の物音に気付いて雨戸を開けると、それは深い山の香りだった。夜明けの朝もやの街にすがすがしい杉の香りが広がっていた。山形県の鶴岡の棟梁剱持さんが刻んだ木材をトラックに積んで鎌倉に運んできた。そして、このアトリエの工事は始まった。
私は30年近く勤めた東京の設計事務所をやめ生家へ帰った。その一角に小さなアトリエを作り設計事務所を開くことにした。 |
| 鎌倉の風景 |
この数年の間に鎌倉は大きく変わっていた。木々に囲まれた大きな屋敷の代わりに国籍不明の小さな家がたくさん建っていた。鎌倉石の築地や建仁寺の続く路地は自動車が入るようになり、殺風景なアルミのフェンスやブロック塀になった。こうした変化に私なりのささやかな抵抗をしたいと思った。それは鎌倉の風景に溶けこんだ「普通」の家を作ることだった。
海に近いこの地域には大きなタブの木が点在する。無骨で、きれいではないけれど、潮風にも負けず、大きな緑の影を作りさわやかな風が抜けていく、集まってくる鳥や虫や子供たちを静かに見守っている。タブの木のような家を作りたいと思った。建築雑誌から抜け出してきたような派手さもなく、数奇屋の粋でもなく、それは職人さんがありきたりの材料でまじめに作った家がいいいと思った。 |
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| アトリエの外観 |
アトリエの内観 |
| 剱持棟梁との出会い |
ずっと大規模な公共建築の設計を手がけてきた私は、それまで現在の日本で「普通」の家を作ることの難しさを理解していなかった。その間住宅の世界で苦労してきた友人たちは工場既製品を上手に組み合わせることだと優しく諭してくれた。そんなときに知人を介して伝統木構造の会と剱持棟梁に出会った。
棟梁に設計図を見せた。棟梁はつぎの条件でよければ予定の価格で引き受けるという。(1)棟梁を地元の温海の杉で作る。(2)軸組みに合板、集成材と金物はできるだけ使わない。(3)筋違いを入れず通し貫で耐力壁を作る。(4)家具も建具も温海の杉で棟梁が作る。迷わずお願いすることにした。
棟梁が軸組みを再検討した。私の計算よりひとまわり大きな材料になる。「どうして?」と聞くと「せっかく伐った山の木を生かすために300年はもたす」と言う。「300年のリスクをみこすとどうしても太くなる、もし途中で壊されてもりっぱな材だったら捨てることはない」。小賢しい個人的な経済性ではない社会の正義なのである。
細部に至るまで棟梁とのコラボレーションが続いた。私は日々、匠の技を見ながら楽しい伝統木工の勉強であった。結果、すべてが手作りの家になった。 |
| 地域に開く |
祖父が植えた松とスモモを配置に生かすこと、塀の石を再利用すること、地域に開くこと、をさらに設計条件として自分に課した。
前を通る人は季節の花が咲く植え込みと松を眺めガラス越しにスモモを覗いていく。スモモが咲くと酒を持ってテラスで飲もうと友が来る。街のことで相談があるからと町内会の役員が上がりこんでくる。近所の子供が金魚を見に来る。そして、みんな杉の香りに驚嘆し、無塗装の南京下見が少ずつ色付いてくることに、どうやら持ち主以上に興味を示すのである。
最近の建築を見慣れた目には、余りにも野暮ったい印象と映るかもしれない。しかし、日本人が千数百年培ってきた針葉樹の家の強さ、優しさが棟梁の受け継いだ匠の技とともにこの家に刻み込まれている。
前庭に植えたタブの木の生長とともに、地域の人に愛される家になることを願っている。 |
住まいの話題[479]執筆者
■梅沢 典雄(うめざわ のりお)/ 梅沢典雄設計事務所 |