中越地震を経験して痛感した
防災ガラスの必要性


2004年10月23日午後5時56分に発生したに新潟県中越地震は、死傷者4,696人、住家被害は一部損壊も含め10万件以上を数え、阪神・淡路大震災以来の大きな被害をもたらした。震災時の状況はどうだったのか。そしてその震災を経験して、建築物に使われるガラスはどうあるべきと感じたのか。当社板ガラス特約店である(株)スミック長岡硝子(新潟県南蒲原郡中之島町)の上村寛男社長に、お話を伺った。
株式会社 スミック長岡硝子 代表取締役 上村寛男
株式会社 スミック長岡硝子
代表取締役社長 上村寛男
―本震のすさまじさも感じたのですが、今回の地震は余震が多く続きました。肉体的・精神的に相当ダメージがあったのではないですか。
上村 今までの地震なら「地震が来たな」という感覚でしたが、今回は家中が揺さぶられるような感じで、地震というよりも、空から何かが落ちてきたように感じました。慌てて外へ出ようとしてもなかなか出られず、ようやく外へ出ても、十分もしないうちにまた余震が起こり、朝方にかけて何回余震が起きたか分かりません。
自宅は停電しませんでしたが、ほとんどの家が停電になり、二、三日続いたのではないでしょうか。余震でほとんどの人は家で寝られず、車の中や、避難場所で一週間位過ごしました。
午後十一時ごろに会社へ行くことができたのですが、ガラスは全滅。建物には被害がなかったものの、事務所の中は物が倒れ書類が散乱し、天井が落ちている所もありました。カタログ棚もすべて倒れていました。従業員の安否を手分けして確認しましたが、携帯電話は通じず、一般電話もつながりませんでした。

―地震直後はどう行動されましたか。
上村 取引販売店には長岡市、小千谷市、川口町と大変な地域が多く、毎日そういう所に緊急物資を運んでいけたことが良かったと思います。震災は最初の五日間が勝負。五日たてば自衛隊も来て、いろいろな所から救援物資も届き、ほとんど間に合います。二、三日は情報も全然ありません。川口町などは完全に孤立状態。道路が遮断され、小千谷市から川口町に抜ける道はすべて通行止めでした。

―避難者は十万人を超えていたともいわれていますが、避難施設のガラスが割れて、一時的に使用できなかった施設があったそうです。
上村 避難場所なのにガラスが割れて降ってくるのが怖いから、建物の真ん中に固まって休んでいる所がありました。カバーがついていない電球も危険です。ガラスの安全対策は絶対必要だと改めて痛感しました。避難場所になる公共施設などでは特に大事です。サッシの外れ止めなども怠っているのではないでしょうか。

―今後、災害時の安全対策を浸透させるために必要なことや、ガラス業界ができることは何があるでしょうか。
上村 合わせガラスの安全性などをうたってほしいと思います。公共建築物の場合は法制化を進めて、その場所を避難所と決めた所が責任を持って対策をとるべきです。安全対策が完備されているから選んだといえるようにしなければなりません。特に学校の体育館などは、何か災害が起こったときには避難所になることが多い建物です。最低限、非難場所に指定される公共の建物の窓ガラスは、安全ガラスにする必要があると感じています。

photo ―昨年は台風などの災害も相次ぎ、「防災ガラス」の必要性が高まってきたと思います。
上村 地震があるからこういうガラスを使ってもらおうといっても、予算の問題があるのですぐには難しい。普段から最低限のグレードとして使ってもらえるようにしておかなければ普及しません。
防災は自分の住宅なら自分で守るということになりますが、避難場所に指定されることの多い公共建築物は、適切な設備にすることが必要です。安全な場所がないから、自衛隊のテントに避難していた人がいるのです。避難場所に指定された建物には、国が安全性を証明することや、耐震性の基準も見直す必要があるのではないでしょうか。
阪神・淡路大震災の時は、寝ている所に物が倒れてくるのだから、救出も難しかったと思います。今回の地震は夕方だったから、まだ助かっています。安全対策はガラスもありますが、家具を壁に固定することや、キッチンの吊戸棚に「耐震ラッチ」という地震の時に扉を開かないようにする装置を取り付けるなど、各自が安全対策をする習慣もつけないといけません。日本人はそのときだけ騒ぎますが、少したつとすぐに忘れてしまう。忘れないことが大事です。
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