新しい建築のおおらかさを求めて

社会は今、多様性や寛容性を求めています。
その要請に建築家はいかに応えようとしているのか。
作品を通して探ります。

寛容性とは「抜き差しなる関係」

第3話

寛容性とは「抜き差しなる関係」

長坂常 スキーマ建築計画

2018.09.01

代表作「Sayama Flat」が大きな転換点だったという長坂常さん。その時再認識したという「建築のおおらかさ」についてお話をうかがった

多様性を受け入れるようなおおらかさ、寛容性がこれからの建築には必要ではないか、そういったことを伝えたいというのがこの連載/インタビューの趣旨なのですが、インターネットで長坂さんのお名前と「おおらかさ」で検索すると、Sayama Flat(2008年)について語られたときの文章がヒットしました。覚えていらっしゃいますか。

長坂常(以下、長坂):はい、結構大切にしていることで、よく「抜き差しなる関係」と表現するのですが、モダニズムが「抜き差しならない緊張感」で空間を作っていくものだとすると、もういいかげんあれはいいよねと。たとえば百円ショップにあるようなものも必要だし、高級なものもあったら嬉しいし、それが日常であって、どちらかを排除しないといけないような空間、研ぎすまされた感じは、僕はもう十分だと思っています。そういったことを考えるきっかけとなったのが、Sayama FlatとオフィスHAPPAです。空間がおおらかで、なんでも受け入れてくれる顔をしている。また、そこで終わりではなくて、その先も誰かが手を入れることによって存続されていくはずなので、それを排除してはいけない。そういう建築を考えないといけないんじゃないかということをずっと考えています。

Sayama Flatから10年経過しました。建築家やデザイナーはそれほど変わっていませんが、社会は変化しています。クライアント側に寛容性が出てきていると思いませんか?

長坂:そうだと思います。シチュエーションと依頼される内容は違いますが、僕自身は、Sayama Flatで自分のなかで大きな転換があってからは、そんなに大きくは変わっていません。僕のダメなところも分かっているが、好きだから依頼してきたという時代から、完全に信頼しきって依頼してくる人が増えているという印象があります。建築家として、どちらかというと前に立って走っているよりも、お施主さんが楽しめる状況をどうやって考えるか、あるいは自分が手をつけたものも誰かが手をつけるだろうなとか、そういう考えの中にいる感覚です。いろいろなものを繋ぎとめていかないといけないという感覚は、あの時以上に大きくなっているような気がします。あの時は、これでいいんだと気付いたことを、みんなにどうやって示唆しようかという風に考えていましたが、今はどちらかというと、それはもう当たり前になっていて、むしろいろいろなきっかけで、自分が想定していないところに連れて行ってもらえたら面白いなと思ってクライアントと接したり、物件を見たりしている感じですね。最終的にどうやっても建築になるし、居心地のいい場所はできるであろうという、ある意味自信はあって、むしろどこかに誘ってくれる状況にできるだけ従順につながっていきたいと思っています。

【写真】Sayama Flat 埼玉県狭山市 2008年 写真:太田拓実

Sayama Flat 埼玉県狭山市 2008年
写真:太田拓実

人の営みを建築家はコントロールできませんが、素材やディテールはある程度できる。素材の中でガラスはどのように捉えていますか?

長坂:ガラスは、支持されすぎなのではないかと思うくらい支持を得ています。たとえばトイズファクトリー(Toy’s Factory、2018年)は、宮益坂の上にあるビルの1フロアをリノベーションしたオフィスですが、ペリメーターゾーンに、腰の位置まで空調設備が隠されていて、そこの上がすべてガラスなんです。今こんな建物ないですよね。この時代の人たちはなぜこんなことをしたのか分からないと思うくらい、今では足もとから全部ガラス。なにも考えないでそうなっていると思うくらい当たり前にガラスになっています。一方、インテリアで使う場合は、ガラスは僕にとって特別な存在で、透明なものとしてではなく、艶のあるものとして使います。ガラスの艶はかなり異質ですので、使い方にはすごく注意を払っています。ガラスは構成的に、つい透明であるものとして扱いがちですが、そんなことはなく、まず物理的にみてもそこは通過できないし、視覚的にも反射があったり歪みがあったりで、個性豊かな表情をもちます。なので、当然一つの素材としてデザインするときも注意を払って取り扱わなければならないと思っています。

【写真】Toy's Factory 東京都渋谷区 2018年 写真:長谷川健太

Toy's Factory 東京都渋谷区 2018年
写真:長谷川健太

人の営みをイメージして素材やディテールを考えることはできるのではないでしょうか。

長坂:建築を作るうえにおいて、僕自身は営みを見ているような気がします。それが建築でやるべきことなのか、家具でもいいのではないかなど、いろいろ考えますが、自分の範囲で言うと、それはディテールではないですね。先ほどのおおらかさ、いろいろなものを受け入れる余地というものを、空間としてどうすればそういう交差点になりうるのかということを考えています。また、僕はモノ作りも好きなので、その空間のイメージを説明するツールを使うときに、モノを節操なく使うと、モノ作りとして品がなくなるので、そこはちゃんとコントロールしますが、最初からそこを目的にはしません。自分がめざしたことの実現にはこの材料とこのディテールが必要であるということを、みんなで共有したいので、それが理解されるようにちゃんと洗練させ、決着させたいと思っています。それは、おそらく印鑑みたいな、証のようなものでしかなくて、結局営みを作ることとは関係ないかもしれませんが、たとえば良い音楽を作ったら良いジャケットを作りたいはずです。そのくらいの感覚でディテールもきちっと納めたいというのはあります。ただ、ディテールが人間にどれだけ効果を与えられるかというところまでは、あまり考えていないかもしれません。

人の活動として、最近、プライベートスペースをパブリックに開くというような動きが広がっているように思います。

長坂:昨年竣工した住宅の改修プロジェクト(延岡の家)は、もともと440平米くらいある建物の、170平米くらいしか必要ない2人のための家なのですが、残りのスペースはすべて共用スペース。特別な用途があるわけでもなく、たまに写真展を開いたり、バーベキューしたりという空間として使う。昔ならプライベートな場所を作るために、外側を囲ったコートヤードを設けたりすることが多かったと思います。もちろんこの家もプライベートはありますが、ワンクッション内側に共有スペース、パブリックな空間を作っておいて、さらに内側に個人の場所を作る。開かれているが個人の守られた場所もちゃんと作るというとても面白い住宅でした。

【写真】延岡の家 宮崎県延岡市 2017年 写真:太田拓実

延岡の家 宮崎県延岡市 2017年
写真:太田拓実

東京・五反田で手がけている物件(桑原商店、進行中)は、もともとは地元で有名な酒屋さんだったところが、コンビニの増殖で徐々に縮小し、今や倉庫兼の3階建の建物に、兄弟3人とその家族、たしか4、5世帯がひしめき合って住んでいる。その下の倉庫を改修して居酒屋をつくるというプロジェクトです。僕は、倉庫を居酒屋として「誤用」しようと思っていますが、単なる居酒屋を作っても面白くない。上に住む4、5世帯の家族がみんなで店に立つという、とてもアットホームな雰囲気で、そういう発想、店の成り立ち方自体、以前では考えられなかったような気がします。そういったコミュニティを育てながら場を作り、単に空間を作るだけでなく、結果的に過去から未来までの時間軸を考えて、その人たちがどう立ち振る舞うのか、ある意味舞台のような感覚で空間を作っていく感じです。そこでは、ディテールや形、素材の話というものは、ほんとうにわずか。それは、人やコミュニティを動かしているような感じで、僕がそういう流れを引きつけているのかもしれませんが、そういう風に変わってきているのは面白いなと思っています。

【写真】桑原商店(五反田の酒屋) 東京都品川区 進行中

桑原商店(五反田の酒屋)東京都品川区 進行中
写真:スキーマ建築計画

【写真】長坂 常氏
長坂 常 ながさか じょう/スキーマ建築計画代表
1998 年東京藝術大学卒業直後にスタジオを立ち上げ、現在は青山に単独でオフィスを構える。 仕事の範囲は家具から建築まで幅広く及び、どのサイズにおいても 1/1 を意識した設計を行う。 国内外でジャンルも問わず活動の場を広げる。日常にあるもの、既存の環境の中から新しい視点や価値観を見出し、デザインを通じてそれを人々と共有したいと考えている。
Photo:Yuriko Takagi

インタビュアー

中崎 隆司 なかさき たかし
建築ジャーナリスト・生活環境プロデューサー。生活環境の成熟化をテーマに都市と建築を対象にした取材・執筆、ならびに展覧会、フォーラム、研究会、商品開発などの企画をしている。著書に『建築の幸せ』『ゆるやかにつながる社会-建築家31人にみる新しい空間の様相―』『なぜ無責任な建築と都市をつくる社会が続くのか』『半径一時間以内のまち作事』などがある。

一覧に戻る