新しい建築のおおらかさを求めて

社会は今、多様性や寛容性を求めています。
その要請に建築家はいかに応えようとしているのか。
作品を通して探ります。

強い構想力から生まれるおおらかさ

第5話

強い構想力から生まれるおおらかさ

遠藤克彦 遠藤克彦建築研究所

2018.11.01

公共建築プロポーザルを近年立て続けに勝ち取っている遠藤克彦さん。その秘訣を「余白の設計」と自己分析する氏に話をうかがった。

大阪中之島美術館の実施設計が終了しましたが、コンペ案と変わった点はありますか?

遠藤克彦(以下、遠藤):ほとんどないですね。よく収まったなと思うくらいそのままです。変わったものといえば、エスカレータ等の向きくらい。大阪市の学芸員さんや、実際に使われる方たちの意見を取り込んで、使いやすい、運用しやすい建物を追求するという過程を経た結果、内部の動線整理がかなりありました。コンペの段階では、純粋に自分たちの考えを前面に押し出して、シンプルに構想を見せるだけなのですが、美術館というのは、何千人もの人々を捌かないといけない。人は動いているだけでなく、立ち止まったりもします。そういう滞留する場所の設定などは学芸員さんと具体的に詰めていきました。

このプロジェクトで学んだことはありますか?

遠藤:美術館も住宅も、つまり大きな建物も小さな建物も、大切なのは構想力なんだなと実感しました。言い換えると、構想力はスケールを横断するということです。ただし、大きな建築になると、とてつもない数の人たちが関わってきます。たとえば、意匠、構造、設備、さらに今後は施工に関わるものなど、大変な数の人々が関わってきます。僕は、そういう人々が全員「自分がいないと建たない」と思える建築が良いプロジェクトだと思っています。大阪中之島美術館では、関わっている全員が、自分は必要とされていると感じてもらっていると思っています。

大阪中之島美術館 大阪市北区 2017年〜

大阪中之島美術館 大阪市北区 2017年〜
写真:遠藤克彦建築研究所

そういう状況をつくるためには、寛容性というか、おおらかさが必要になるのではないでしょうか?

遠藤:そのとおりだと思いますが、その前提として構想の強さが大切になってきます。おおらかさ、寛容性は構想自体にあるもので、私も実は構想に頼っています。構想はある時点で、いわば人格をもって勝手に動き始めるからです。

大阪中之島美術館はコンペなので、市が考えた構想があったと思いますが。

遠藤:そうですね、ただ、プログラムとそのプログラムを成立させる図式は分けて考えています。大阪市がどのような美術館にしたいかという構想、ステイトメントは、非常によくできていました。建築家としてとても感心したのは、そのステイトメントを形にする具体的なアイデア、施策については「建築家のクリエイティビティに委ねたい」と記されていたことです。それ自体、寛容性という非常に大きなメッセージがあり、そういった意思がコンペの段階からあったからこそ、スムーズに、また形が変わることなくプロジェクトが進んできたのだと思います。

【写真】大阪中之島美術館 大阪市北区 2017年〜

大阪中之島美術館 大阪市北区 2017年〜
写真:遠藤克彦建築研究所

茨城県の大子町新庁舎のプロポーザルも勝ち取りましたね。

遠藤:こちらは、庁舎ということもあって、建物単体ではなく、まちの仕掛け、ツールとしてまちとどう接続させるかということを強く意識しました。大子町は林業のまちですが、過疎化が進み、中心市街地が空洞化しています。若い人は皆まちから出て行って、残った高齢者は車を使うためまちを歩かない。それがまちをダメにしていく。そこで、まちの中心地にどう力を取り戻すかという視点から提案しました。例えば、建物というのは通常、内と外の関係になりますが、町を歩く円環を想定して、庁舎を空洞というかチューブのような建物として計画し、人の動きを生み出せればと考えました。具体的には、300メートルくらい離れたところに常陸大子というJR東日本の水郡線の駅があるのですが、そこから庁舎、それから旧中心地を円環状に人が歩けるような仕掛けを考えました。そこを高く評価いただいたのだと思います。

【写真】茨城県大子町新庁舎 2018年〜

茨城県大子町新庁舎 2018年〜
写真:遠藤克彦建築研究所

コンペ、プロポーザルに負け続けていて、ここのところ勝ち始めた要因を自己分析されていますか?

遠藤:あまりつくり過ぎなくなった、あるいは余白の設計ができるようになったということかもしれません。プロポーザルは人を選ぶということもあって、審査員もその背後にいらっしゃる住民の意見が反映されないといけないと考えますから、ある程度の余白が必要になります。そこを見通す力が必要だと気付きました。空間の構想性みたいなものはきちんと立てたうえで、どれだけ余白をもたせられるか、つまり自由度の差配です。これだけできれば構想はつぶれない、コンセプトは生きるという、そのベースとなる提案、仕組みを提示して、空間自体は委ねても大丈夫だという戦略をとっています。

大阪中之島美術館も大子町庁舎も浮いているイメージがあります。

遠藤:大阪中之島美術館の場合、1階は地面に張り付いていて、2階が浮いているように見えます。美術品を守らないといけないということもあって、3、4、5階に美術品を集めており、形を明快にした方が設計競技としてはいいだろうという戦略的な判断でした。これに対して大子町は、氾濫が想定される川がそばにあって、10年とか15年に1回は水が出ると言われる土地でした。そのため、1階は使えないと考えて、最初から浮かせてしまおうと。確かに両方とも浮いていますが、それは偶然です。大子町庁舎は規模が小さいので、大阪中之島美術館のように1階の設備を耐水壁を回して守るということができない。物理的に上に揚げておく必要があって、残ったのは小さな更衣室とトイレくらいです。ですので、浮かせているという意味では、大子町の方がより大胆です。一方の大阪中之島美術館は、1階にカフェやレストラン、収納室もたくさんあります。そういう部分でも、やはり余白のつくり方は大切だと思います。それがおおらかさ、寛容性につながるかどうかはわかりませんが、余白を最終的なクライアントである住民の方々に残しておくということは、非常に重要だと思います。決めすぎるとだめですね。

遠藤さんはあまりガラスのイメージがないのですが、ガラスをどのように考えていますか?

遠藤:実は結構使っています。「東嶺町の家」などは、ほとんどガラスです。最近竣工した集合住宅では、真ん中のコア、床全体はコンクリートなのですが、住戸はすべて2面ともガラスで、周りとの関係をどう繋ぐかということを意識して設計しました。ただ、ガラスは非常に難しい素材だと思っています。それは、環境性能というか、素材であり物理的な壁であるにもかかわらず透明性をもつということで、熱が非常に入りやすい。良い部分もあるが、難しいところもある。また、感性の材料に近いので、そういう扱い方が求められるし、環境性能が問われるこの時代ですから、自然と取り扱い方、設計の仕方は繊細なものになると思います。簡単に使ってはいけない、覚悟して使わないといけない素材なのではないかと思っています。

【写真】東嶺町の家 東京都大田区 2004-05年

東嶺町の家 東京都大田区 2004-05年
写真:遠藤克彦建築研究所

他にはどのようなプロジェクトに取り組んでいますか?

遠藤:愛知の田原市に福江というまちがあって、もともと港町だったのですが、現在は活気を失っています。ただ福江には古い旅館や飲食店が結構残っています。そのうちの古い旅館の3代目が僕の知人で、以前から活性化の方法について相談を受けていました。まちの中心には、昭和50年くらいにできたショッピングセンターがあって、まったく人が集まらずヴォイド化している。別の言い方をすれば、人が集まれる場所がない。そこで、ショッピングセンターがある場所に、例えば高校生たちが、学校が終わった後に勉強できる図書館の分館とか、子供たちが遊べる場所など、公共建築の要素も踏まえた人が集まれる場所をつくったらどうですかと、田原市に提案しました。今、公共建築の再配置計画は非常に重要になってきていると考えていて、配置学がまちの勢いを決める。そういう再配置という視点で、聖域なくやらないといけないのではと訴えたところ、市も動いてくれるようになって、渥美にも事務所を設けました。ということで現在、東京、大阪、大子町と渥美、4か所にオフィスがあります。

今後の展望についてお話しください。

遠藤:まずは目の前のものをしっかりやるということ。また、優秀なスタッフが支えてくれているので、彼らの実力を建築において発揮できるような状況をつくることが、とても重要だと感じています。設計事務所としての戦略は、公共建築でメッセージを提示し、市民を巻き込んでよい空間、都市をつくっていくことだと思っていますので、それは積極的にやっていきたい。最近、海外から話が来始めているので、そういう動きも強めていくのかなと思っています。それから、組織としては、ただ設計する、建物をつくるだけでなく、周りのことを知る、つまりクライアントが見逃していたものを見つける力というのが、新しい設計事務所には必要だと思っていて、そういった研究、リサーチができるチームを編成したいと思っています。それが「研究所」と名付けた本来の意味でもあります。大子町、渥美にオフィスをつくっているのも、地域へのアプローチという意味で、やはり拠点をつくり、そこで小さな経済活動をすることによって見えてくるものもあります。そういったリサーチ、ディベロップができる事務所でありたいと思っています。

【写真】遠藤克彦氏
遠藤 克彦 えんどう かつひこ/遠藤克彦建築研究所
1970年横浜市生まれ。92年武蔵工業大学(現東京都市大学)工学部建築学科卒業。95年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了。同大学院博士課程進学。97年遠藤建築研究所設立。07年株式会社遠藤克彦建築研究所に変更。2010~16年東京工芸大学工学部建築学科、慶應義塾大学大学院理工学研究科、国士舘大学理工学部理工学科建築学系、工学院大学建築学部で非常勤講師を勤める。現在、日本大学理工学部建築学科非常勤講師。2018年東京都港区浜松町に事務所移転。

インタビュアー

中崎 隆司 なかさき たかし
建築ジャーナリスト・生活環境プロデューサー。生活環境の成熟化をテーマに都市と建築を対象にした取材・執筆、ならびに展覧会、フォーラム、研究会、商品開発などの企画をしている。著書に『建築の幸せ』『ゆるやかにつながる社会-建築家31人にみる新しい空間の様相―』『なぜ無責任な建築と都市をつくる社会が続くのか』『半径一時間以内のまち作事』などがある。

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