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アーキテクトルーム

■住まいの話題[255]:住宅は芸術作品か…?
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建築は芸術
総合芸術という言葉をご存じであろうか? 手許の辞書には「各種の芸術の要素が協調・調和した形式で表出される芸術」とある。楽劇や映画、そして建築などのことを指す。建築は映画やオペラ同様、多くの人の手によって出来上がるものである。それは小さな住宅とて同じだ。大工はじめ、鳶がいて屋根屋がいてサッシュ屋がいる。どんなに小さな住宅でも、少なくとも14~15の職種がかかわり建物はできてゆく。それらをまとめるのが設計屋であり、優れた人は建築家と呼ばれる。

日本における建築家はたいした地位を確保できていないが、ヨーロッパでは医者や弁護士とともにステイタスのビック3に入り、その筆頭はArchitectつまり建築家なのである。
自転車屋親爺の怒り
先日非常に不愉快なことがあった。本来なら不愉快なことなど書きたくはないのだが、時間とともに、その不愉快なできごとを理解しようとする自分がいたので書いてみようと思う。

私は2歳の娘のために自転車を捜していた。インターネットやカタログで物色するうち、以前住んでいた西荻でフットブレーキとシンプルデザインをウリにする自転車屋に辿り着いた。車で小1時間かけ3人で自転車屋に行き、一番小さな自転車を試乗させてもらった。妻はフットブレーキに疑問を呈したが、私は購入する気になっていた。店に戻りひとつだけ気になった点を訊いてみた。すると突然、親爺の語気が荒くなった。「そういう人は他で買ってくれ」。

私はなにかいけないことを云ったのだろうか。しかし、私が発した言葉はたったひとつ「チェーンガードのオプションはありますか?」だけである。シンプルデザインをウリにしているだけに、この店の自転車にはチェーンガードもついていない。しかし大人ならともかく、小学校前の幼児ではすぐに衣服を汚してしまうのは想像するに難しくない。
Streetをもつ家/外に閉じる Streetをもつ家/内に開く
親爺がなにに苛立っているのか理解できない私は説明を求めたり、逆にこの店にきた経緯などを説明したが、親爺の怒りは治まらない。「あんたはものづくりの人間に対し非常に失礼なことを云ったんだ」その一点張りである。終いには「あんたには売らない。客が店を選ぶ時代だが、店も客を選ぶ時代なんだ!」などと云い出す始末。結局、話しが噛み合わないまま店から追い出された。

しばらく経って、あの親爺は芸術家を気取っていたのではないか、と思うようになった。自分の自転車に自信と誇りを持ち、完璧な仕上がりだと自負しているのかもしれない。高名な画家の絵に注文をつける人はいない。もっと青を強くとか、左上に鳥を描いて、などと云ったら画家は怒り出すだろう。それと同じだったのではないか・・・。
施主はいいとこどり
「わがままは美しい」と云ったのは画家の横尾忠則であるが、住宅を依頼してくる施主にこの言葉は教えたくない。ありったけの夢や理想や妄想を並べて、でも安くしてね、とくる。ほとんどの場合、施主の最初の要望を全て叶えると、敷地は1.5倍、予算は倍必要になる。テレビ・雑誌・インターネットなどメディアの情報や国内海外で見聞きした体験がランダムに積み上げられ、整理されないまま我々に渡される。

この時大きく2つのタイプに集約できる。イメージが造形にまで及んでいる場合とそうでない場合に。後者が色や拡がりが中心なのに対し、前者はより具体的である。『風と共に去りぬ』の中でスカーレット・オハラが降りてきた階段とか、そこまでいかなくとも、リビングに丸い窓や玄関は中世の鎧戸風、といったことだ。この場合、当然ながら、我々は建築家として認識されていない。そもそも多くの人が自分の家を建てるにあたって芸術作品をつくろうとは思っていないだろう。ただ我々に相談にくるほとんどの人が、他人と違った家、個性的な家を望んでいるのも事実である。

古代ローマの建築家ウィトルウィウスによれば、建築の3原則は「強さ・実用性・美しさ」であり、また、芸術が「美の創作・表現」であるならば、ひょっとすると“わがままは芸術”になりうるのかもしれない・・・。と、すれば・・・。
住まいの話題[255]執筆者
■中島 研(なかじま けん)/ 建築設計室 SITE PLAN


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