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アーキテクトルーム

■住まいの話題[300]:居心地をめぐるエトセトラ
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部屋と部屋のあいだ
家の設計をはじめるとき、まず話題になるのは部屋の機能とその広さにまつわることがらです。居間は何畳で、食堂は何畳、寝室と子供室は、とつづきます。でも、実のところ生活というのはそのように機能や時間がはっきりわかれているわけではありません。たとえば食卓で本を読んだり、手紙を書いたりすることもあるでしょうし、食べたあとになんとなく話しが続き居間のソファーに移動するまでの時間などがあるでしょう。廊下の本棚に目が止まり、階段に腰掛けて読むのもいいものです。そのような、用事と用事の「あいだ」の時間や名前のつかないような「あいだ」の空間に居心地のよさというものが隠れているのではないかと思うのです。
ひとりだけどひとりではない
cafeで読書や考えごとをするときに心地よいと感じたことはないですか? それは同じ空間の中で他の人たちが、おしゃべりしたり、手紙を書いたり、同じように本を読んでいたりするからなのではないかと思うのです。それは匿名な人たちの中で、「ひとりだけどひとりではない」時間といいかえられるかもしれません。

家の中では、匿名の関係なんてありえません。たいがいの場合、夫、妻、親、子という配役が決まっています。それから逃れるために、多くの人は個室にこもるわけですが、それはまったくのひとりです。そうではなく家の中でもcafeにいるときのように、「ひとりだけどひとりではない」距離感の空間で過ごせたらとても居心地がよいと思うのです。
那須の山荘:人と自然、人と人の間に
さまざまな距離を生む壁
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領域がありながら繋がっている
小さな空間
六本木の裏路地にあるRC造のアパートに住んでいたことがあります。田の字プランの2DKで、部屋は通常の6畳より小さいサイズのものでした。間仕切りのふすまをとりはらい続き間として使いましたが、垂れ壁や袖壁などがあり、まったくのワンルームでもなく、小さな領域が連なるような空間でした。また、そのころイタリアの友人4人が白金の外国人用に考えられた家をシェアしていて、そこには30畳以上の大きなリビングダイニングと、独立した8畳程度のキッチンがありました。

双方のスペースにはホームパーティのときなど、友人の友人など知らない人たちも多く集まったものですが、白金の大きなリビングでは空間が一堂に見渡せてしまうせいか、知っている人どうしでかたまる傾向にありました。一方、六本木のアパートではキッチンから部屋、部屋から部屋と小さな空間をいききする間に、なにかしらのきっかけが生まれて、初めての人ともスムーズに話す機会が生まれたことが印象的でした。また、白金のパーティでも、最後の方になるとなぜかみんな狭いキッチンに集まりだし、ひしめきあい、そうするとそこではまた、知らない同士もさりげなく話しをはじめたりするのでした。

家にかぎらず空間を考えるときには、できるだけ大きい方がいいと思いがちですが、コミュニケーションを誘発する「小さい空間」が連なっている居心地のよさというのも、あるのではないかと思うのです。
ドア一枚
ふたたび、六本木のアパートでのお話ですが、ある時からお隣に知人のイタリア女子留学生が住むことになりました。狭い階段の踊り場にある玄関同士はわずか2、3歩の距離の近さですが、インターホンを押してわざわざたずねるというのはなかなかできないものでした。今、風呂に入っていないかな? 勉強している最中で邪魔をしてはいけないかな? と見えないだけに気をまわしてしまいます。「ドア一枚」がつくる距離は思いのほか大きかったのです。でも、窓越しには気軽でとても心地よい関係が生まれました。洗濯物をとりこんだり、窓枠に腰掛けていると、気配を感じ、目があい、話しがはずみ、部屋にくる?ということになります。

家の中、家族との関係でも、同じです。プライバシーも必要ですが、「ドア一枚」で関係を開閉するのではない、距離を調節できる空間は、より居心地がよいのではないかと思うのです。
住まいの話題[300]執筆者
■宮 晶子(みや あきこ)/ STUDIO 2A


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