アーキテクトルーム

■住まいの話題[434]:「自由」ということ
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自由でいたい
「自由」であることをよく考えます。なぜなら住宅には非常に多くの不自由さがあるからです。それは単に予算、構造、法規、性能、などといったことにとどまらず、例えばクライアント独自の積み重ねてきた歴史、生活に対する思い、メディアで見かけた流行、などもある種の不自由さです。さらには設計者自体が持つ知識や技術、経験までもが不自由と思えるときがあります。人間だれしも不自由を感じると自由でありたいと思うもので、設計者としては住まい手にも自由であってほしいと思います。
自由のおしつけ
住宅の設計は様々な不自由を受け入れることから始まります。基本的な性能やクライアントの要望、自分の経験などといったものは重要で、当然受け入れていくべき対象です。それでもどこかで自由でありたいと思って様々な思いを巡らします。それは社会的な常識、クライアントの常識、自分自身の常識からの自由です。そして結果としてできる住宅にも、自由を与えたいと思っています。

ここで気をつけなくてはならないのは、「自由」=「強制力からの解放」ではないということです。自由とは確実に強制力を持っています。それは自分で考えることの強制です。従って人によっては不自由であることに心地よさを見いだすこともあるでしょう。そのことに意識的でないと、用意した自由がひとりよがりのおしつけがましいものになりかねません。そうすると「自由」という「不自由」みたいな、逆効果の息苦しさを感じることになります。
「動く」ことが自由か 「広い」ことが自由か
「動く」ことが自由か
「越谷の住宅」では広いワンルームに天井までの可動家具を数個置いて、空間を仕切ることを提案しました。夫婦が若く子供も小さかったので、将来的な家族構成や要望の変化に備えて、容易に動かせる家具で様々なパターンの平面計画ができるように考えたのです。実際にお伺いする度に家具が違うところにあって、試行錯誤しているようでした。

ここで「動く」ことはある種の自由であるとは思いますが、それ自体に価値を見いだすことは意味がありません。家具を動かすことが家を考え、家族を考え、家族間のコミュニケーションにつながることが大事だと思います。きっと数年後には大きくなったお子さんが、部屋を広くしたいとか、この辺に壁がほしいとか、こっちの場所がいいとか言い出して、家族を巻き込んで自分の家を考えるのではないでしょうか。ここでの可動家具は家族間のコミュニケーションツールとなるでしょう。
「広い」ことが自由か
「津の住宅」では4つの個室と4つの外部に囲まれるようにして、中央に大きなスペースが用意されています。このスペースは玄関の役割もするし各個室を結ぶ廊下でもあり、お客さんとくつろぐ応接室かと思うと、スクリーンを出して大画面で映画を観たりゲームをするプレイルームにもなっているようです。それぞれの個室に収まりきらない機能がこの大きな部屋にあふれ出しているといった感じでしょうか。

ここでも「広い」ゆえにどんな使い方も出来る自由さに価値を見いだすと言うよりは、このスペースをどのように使おうかと考え、想像できることが大事だと思います。そのためには周囲を取り囲む個室や外部との関係性のつくり方に力を注ぐことになります。中央のスペースが単なる廊下になっても困るし、物置になっても困ります。ここでは個室に足りない部分を見いだすとか、必ず誰かを感じられる場所にするとか、そういった中で住まい手が自然とこのスペースの新たな使い方を発見してくれるとうれしいです。
自由の先にあるもの
住宅での自由は、その先にある目的のための手段であって、それ自体が目的にならないようにしなくてはなりません。目的とは、住まい手が考えること、工夫すること、発見することです。そうして家は愛着のある住まい手自身のものになっていくのではないかと思っています。
住まいの話題[434]執筆者
■水石 浩太(みずいし こうた)/ 一級建築士事務所TKO-M.architects