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アーキテクトルーム

■住まいの話題[574]:「200年住宅」いかが?
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さすがに普段仕事で使うのはデジカメになりましたが、今でも趣味で撮る写真はフィルムで、お気に入りはレチナⅢcという蛇腹式のクラシックなカメラです。1954年にドイツコダック社から発売されたこの機械式のカメラは今でも修理可能で35mmフィルムが無くならない限り使い続けられます。「チッ」という微かな音で切れるシャッター音だけで、何だか良い写真が撮れそうな気になります。
200年と簡単に言いますが
良い住宅の条件のひとつとして「長く使える」という項目があることは、まず異論のないところでしょう。最近では政府の施策として「200年住宅」という言葉を耳にすることも多くなりました。数年前から「これからは100年住宅!」とハウスメーカーやビルダーが欧米並みの断熱性能や耐久性能をアピールしていました。よく言われるのが「欧米では100年経った住宅でも新築住宅と同じような価格で売買される」という決まり文句。

ビルなどの設計ではライフサイクルコスト(建設してから使い終わるまでのコスト)という考え方があります。例えば5階建てのオフィスビルをモデルに60年くらいの寿命で試算したデータですが、修理保全コストは建設費の3倍程度(!)が大まかな目安となります。きちんと維持管理するためには想像以上のコストが必要です。それでも住宅より耐久性のありそうなビルが100年を待たずに取り壊される理由はなんでしょうか。いくら設備を更新しても、周辺に新しいビルができれば相対的に賃料等は下がります。つまりニーズがないと価値は下がり、まだ使えるうちに取り壊されるのです。

住宅の場合はどうでしょうか? 自分で使う分には賃料の問題は無視できそうですが、それでもまだ使える住宅がなぜ建て直されるのでしょうか? それは耐久性が低いからではなくて、コストを掛けて修理してでも使い続ける「魅力」が今の日本住宅にはないからです。
愛用のレチナ:
モノとしての質感はデジカメとは別物
良い感じに古びた出窓のある風景
「陳腐化」する日本住宅
明治の西洋式生活の導入以来、日本人の住宅はどんどん変化してきました。それは生活様式の変化の反映ですが、その背後には政府による方針や、産業界による需要創出がありました。短いサイクルの変化はそれまでの住宅を一斉に時代遅れにしてきました。「文化住宅」も「団地」も「ニュータウン」も新しい時代の生活のシンボルとして登場し、ある期間が過ぎると古臭いものとして切り捨てられました。

つまり日本の住宅の問題は、それがスタイルとして次々と「陳腐化」することです。一方、生活様式が確立している西欧などでは昔からの住宅に手を加え満足して生活している。住宅の寿命は物理的な耐久性だけでは無いことは明らかです。
「長く使いたい」住宅へ
「陳腐化」しなければ、そこに住み続けようという人が生まれます。「長く使える」というより「長く使いたい」、そういう前向きな意思を持った人が建物の手入れをしていくのが理にかなっています。そのために住宅は素人でもメンテナンスできるように単純なつくりで、そして年を経ても味が出るようなもので作られていなければならないでしょう。

また、手をかけて愛着が持てる場所で暮らすことが豊かで気持ちの良い、という考え方が社会で共有されないと「長く使いたい」住宅は流通しないと思います。最近、若い人たちの間で中古の服とか家具を自分なりに改造したりアレンジすることがオシャレなこととして広まっているのを見ると、時代自体がそんな方向に既に変わり始めているのではないかと思います。

そんなの精神論、200年住宅は技術的に可能だ、という方にはこんな質問をしたいと思います。「100年、200年、その住宅が生き延びたとして周辺はどうなっているでしょうか? 規制緩和が進み高層マンションだらけになっているかもしれません。耐震基準が再び見直され、既存不適格の烙印を押されるかもしれません。その家自体が市場主義の遺物として白い目で見られるかもしれません。それでも、あなたは100年、200年後にその住宅を買いますか?」
住まいの話題[574]執筆者
■中村 康造(なかむら こうぞう)/ 中村康造建築設計室



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