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アーキテクトルーム

■住まいの話題[603]:「上書きの保存」について
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ドロップハンドル
まだ子供だった時分に、ゴミ置き場で錆だらけになってひしゃげていたドロップハンドルの自転車を拾ってきたことがありました。錆をきれいに取り除き、歪んだホイールを力任せに直し、家にあった黄色いペンキで車体を塗りたくって、憧れだったドロップハンドルに得意になって乗っていたのですが、その後何ヶ月もしないうちに、自転車はあっさりと盗まれてしまいました。

その時、自分で新しく「上書き」した自転車が無くなってしまった悲しい思いの一方で、この間まではあんなにボロだったものでも盗む人がいるんだなぁと、妙な感心をしたのを憶えています。

古い木造家屋の再生・改修として2008年の暮れに竣工した「HOUSE-R」は、ちょうどそんな感じに似ていました。
過去の存在
建物の再生計画というと、事前と事後の比較(ビフォー/アフター)が常套であるように、一般に過去との関係がテーマになってきます。計画を境にして、それより以前は情緒性を孕んだ過去として客体化され、計画の与件として再生を筋道立てるための根拠となります。

結果として、その計画が過去を肯定して残すものになるにしろ、否定して消すものになるにしろ、または、他のものに見立てて役割を変えるものになるにしろ、何かしらの意味を持った過去を前提とすることで、はじめて再生が根拠付けられることに変わりありません。
「HOUSE-R」改修時の様子:
瓦を取り除いた野地板から陽光が差し込む。
「HOUSE-R」改修時の様子:
つきあたりの窓を介して内外が連続する。
上書きの保存:「HOUSE-R」の場合
ところが、「HOUSE-R」の場合は、そのように与件として再生を根拠付けるような過去の存在が、とても希薄でした。部屋のしつらえや間取りから、かつての暮らしぶりくらいは推測こそ出来るものの、今までそこに住んでいたわけでも、街に所縁があるわけでもなかった施主にとって、もとの持ち主が手放した土地に残されていた壊れそうな木造家屋には、自らを重ね合わせられる過去があるわけもありません。

再生・改修の根拠は一見曖昧で、そこには、家を壊してしまうのは何となくもったいないし、新しく住む家の材料のいくらかが古くたって別に頓着しないしといった、漠然とした「感じ」があっただけでした。そして、その「感じ」とは、ゴミ置き場に自転車が捨てられてあった時のそれに似て、壊れそうな家は、そこから何が使えるかを物色するための、ただただ物的な対象でしかありませんでした。

「HOUSE-R」は、施主が新しく住む家を得るための、即物的な「上書きの保存」でした。もちろん施主には、これによって廃棄物の削減に寄与しようなどといった高邁な理念があったわけでもなく、延べ20坪に満たない小さな木造家屋の一軒が解体されなかったからといって、その影響は取るに足らないものでしかないでしょう。

しかし、全国で3,000万人以上、東京圏だけでも640万人以上によって細かく分割されていると言われる個人所有の土地のうちで、戦後に濫造され老朽化した木造家屋が占めている割合は、きっと少なくないだろうと思います。

それが今日、土地売買の価値無き附属品として明日をも知れぬ憂き目にあっているのだとすると、そのうちのいくらかにでも新しく手が入り、過去の存在の有無に限らず延命させていくような再生・改修が、選択肢のひとつとしてもっと身近で当たり前になってくれば、その総量としての意味は大分変わってくるようにも思います。
住まいの話題[603]執筆者
■池村 圭造(いけむら けいぞう)/ 一級建築士事務所UA(有)



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