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アーキテクトルーム

■住まいの話題[617]:集合住宅の存在証明について
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「未経験性」
創造的な仕事は全般的にそうだが、あらゆるものを経験した結果、ようやく問題解決ができるというものではない。建築設計も同様な側面があり、むしろ経験が先入観となって着想を妨げることさえあるからやっかいだ。

未経験で白紙な状態からプロジェクトへ取り組む際、一般的な問題解決と普遍的な問題解決の両面に、先入観なく「観察」をくり返すことが多い。「建築」を未来へと推進していく駆動力には、むしろ「未経験性」が重要かもしれないとさえ思う。

ここでは集合住宅に関する事項を述べるが、冒頭の論理思考に反する自己矛盾をお許しいただきたい。なぜなら、集合住宅とは、まさに等身大の建築物で、これまでの自分自身のマンション生活体験がリアルに覆いかぶさる。クオリティー・ユーザビリティーを向上すべく、折々に感じてきた問題は設計に先取りされていく。戸建ての住居を100棟設計してきた履歴からも、集合住宅建築の可能性拡張へ特別な思いも働く。
「生活風景」
集合ポストに宅配ボックス、入口扉にはオートロック。集合住宅定番のしつらえだが、入口ホールやエレベーターホールは、いかに在るべきか。入口ホール不要論を唱えるつもりはないが、その在り方には再考の余地が大いに残されていよう。

私の現在の考えは以下の通り。通勤、あるいは通学、日々の生活行動から繰り返される駐輪場との行き来や、駐輪場から入口ホールまでのシーン。徒歩であれば、街路から計画建物の入口を経て、エレベーターに乗るまでの一連のシーン。そして、エレベーターを降りた後から各住戸の扉まで続くシーンを次の一括りとして。

この大きく二つのシーンの連続と切れ変わりを「印象的なもの」とすることをこころがけている。これを集合住宅生活における「生活風景」と呼んでいる。その流れの中に、エントランスに必要な機能を布置し、入口ホールという単独機能空間を、この「風景」に溶け込ませてしまうイメージである。
建築の正面性よりも、
生活風景を担う裏動線を印象的に
街角にも生活風景づくりを通して、
社会とコミットする
住戸計画
メゾネットは住んでから3年程で、その楽しさよりも上下移動の大変さが身にしみる。生活をシミュレートして上下層の機能を配置しないと、メゾネットでの実生活はなかなかの体力を要す。更に、寝室にはベッドがつきもので、その寝具の乾燥場所を考慮せねば、上下移動の重労働に輪が掛かる。

フラットタイプでは、ループ動線が理想。また、居室以外のスペースで外部空気に面させたい優先順位は、浴室、トイレ、キッチン、洗面の順となる。「無窓」浴室はプランの自由度を上げるが、逐年を経た無窓バスユニットパネル裏のカビは尋常ではない。
デザイナー集合住宅の行方
「集合」住居論は建築家の先達が、貴重な論考を残し、現在もなおそのテクストは綴られている。集合する意味を問うこと、小さなエリアで異常な人工密度を生む集合住宅と、周辺環境との関係性など、未だ決定的な解答には到ってはいない。ただ、それらは解答を示すものではなく仮説設定だったといえる。ここ数年でそうした先達らの植えた種の開花とも見られるデザイナーマンションの、実験的、刺激的な百花撩乱。20年後に、このブームの真価が浮かび上がる。

しかし、現在でもはっきりしていることはある。そもそも、「集合」を問う前に「住居」であるということ。SOHOなど特殊プログラムは別として、穏やかに、健康に、安全に暮らせる基本性能と、その地域に長く存在しうる建築耐力の維持と更新性。そうして時を駆け抜けられる建築は街に「姿」として定着する。

集合住宅建築の持続可能性を問い獲得していくことは、他の「収益物件」と決定的に相違する「集合住宅の存在証明」となることに疑いはない。
住まいの話題[617]執筆者
■長谷川 順持(はせがわ じゅんじ)/ 長谷川建築デザインオフィス(株)



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