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アーキテクトルーム

■住まいの話題[625]:蟻と地形の関係
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蟻と人間
「複雑なのは蟻の動きではなく、地形である」といった学者がいた。蟻の動作はランダムで複雑に見えるが、じつは動作のルールは単純で、複雑なのは接している環境(=地形)の方だという。蟻ほど直接的ではないだろうけど、わたしたち人間にしても、各々の自由意志でふるまっているようでいて、その挙動は周囲を取り巻く環境に制限されていると思う。
痛いベンチ
ある日の昼下がり、外出先でランチを食べたわたしは公園で一休みすることにした。そこは都内にもかかわらずおおきな樹木が木陰をつくり、暑い日中にはとても過ごしやすい場所に思えた。わたしは木製のベンチを見つけて腰を下ろした。ちなみに、わたしは公園のベンチに座って本を読むのが大好きだ。

ベンチの長さは1.8mほどあり、その座面の真ん中には丸太状の木が固定されていた。ちょっと低いけれども肘掛けのように見えなくもない。しかし、これは肘掛けではない。これはホームレスと呼ばれる人たちがベンチで寝ないように設置された障害物である。わたしは落胆した。これではベンチに横になって本を読むことができない。

はっきりとはわからないが、いつからかベンチにはこのようなものが設置されはじめた。いまや都会ではありふれた光景である。ことのはじまりは新宿駅西口の歩道に設置された人除けの物体だろうか。あれで見事に ホームレスが一掃されたように記憶している。しかし、かれらはその後どこに行ったのだろうか。

それはさておき、ホームレスを追放した代償として、ベンチの使い道は制限されてしまったようだ。このベンチはただの椅子であり、わたしは座ることしかできない。「何故ベンチに横になってはいけないのか?」という形而上学的な問いが頭をもたげる。とにかく、このようなデザインはあまりにも不条理ではあるまいか。
新宿駅西口歩道に設置された人除けの物体
行動を制限する場所
いまや公園の砂場は防護ネットで覆われ、柵がつくられている。猫のフンが原因だ。わたしがよく使う公園では昔から馴染みのある遊具の多くが撤去された。「危険」だからだ。公園の外周にはアルミ製のフェンスが設置された。いったい誰がこれを望んだのかはわからないが、これなら、ただの空き地の方がマシだと思うことすらある。

現代のわたしたちのふるまいはひどく制限されてしまったようだ。「管理された場所」は常に安全であろうとする。どんどん安全になって危険が除去されるのは良いことなのだろう。しかし、わたしはそういう場所に魅力を感じることができない。
不自由なすまい
では、家はどうか。わたしたちのふるまいは制限されてはいないだろうか。 日本の伝統的な家として誰もが思い浮かべるのが、ふすまで仕切られた畳敷きの部屋だろう。畳敷きの部屋は居間や客間にもなるし、食堂や寝室にもなる。ふすまを外して部屋を繋げればパーティもできるし、昔は冠婚葬祭にも使った。なんとも自由な使い方である。

現代的な家はどうか。居間・食堂・寝室・子供室などは独立した部屋として 区画されている。それぞれの部屋の使い方はあらかじめ決められていて、標準化されたnLDKプランは単調で退屈なライフスタイルを想起させる。はたして、現代的な家では多様で自由な生活が実現されているだろうか。伝統的なものといえば何かと時代遅れで不自由なものと感じる人もいるだろうが、すまいにおいてはそうともいえない。
気ままなふるまい
いずれにせよ、建築は必ず人の動きを制限してしまう。であるならば、わたしはなるべく気ままにふるまえるような場をつくりたい。公園のような場所が、その性質を変えつつあるのが現状だとしても、それでも、ベンチで横になるくらいのことは許容できるような世の中であって欲しいと思う。
住まいの話題[625]執筆者
■龍光寺 眞人(りゅうこうじ まさと)/ 龍光寺建築設計



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