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アーキテクトルーム

■住まいの話題[650]:心が動くということ
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人は実にたくさんの<予測>をしながら日々暮らしています。

「次の角から急にクルマが飛び出してくるかも知れない」、「この季節だとタケノコが美味しくなってくるはず」、「今夜は雨になりそうだから早めに帰ろう」・・・といった具合に。そこには自分自身で「おそらくこうなるだろう」と予測を立てて結果を想像するという行為が自然に行われています。

実は住宅を設計していくということも、おそらくは9割以上こうしたことの積み重ねで成り立っています。敷地の容積率や建ぺい率、防火上の規制や建主さんの要望、そしてコストのコントロールなどなど。それらはある程度の結果が予測されていて、それに向けて検討を進める・・・つまり「予定調和」的な部分が作業の大半を占めるわけです。

映画を見に行く、芝居を観る、音楽を聴きに行く時も、私たちはある程度の予測をして出掛けます。例えばこの監督が作るものだから面白いに違いない、とか、ショパンをこの人が弾いたらきっと良いだろう・・・などと。でも時に、そういう予想を遙かに超えて感激してしまったり、言葉にならない感情に包まれる瞬間があります。その時、おそらく「予定調和」が音を立てて崩れているはず。そう滅多に起こることではありませんが、それは間違いなく至福な瞬間であるはずです。<心が動く瞬間>と言い換えてもいいでしょう。
各階を貫く8角形の階段室。ここは非日常的な
光の場として生活空間をつないでいます。
庭の景観と光を柔らかく切り取る開口部。
コンクリートの窓台。
ではどんな時にそういう気持ちになるのか? 結果が予測できていることが上手に出来たという程度ではきっとダメなのでしょう。まず不可欠なのは「予定調和」を打破する意外性だと思います。予想を覆すには相応のインパクトが必要です。では、過激(アバンギャルド)であればいいのか? いえ、それを感じる人にとって「ついて行けないもの」というのでは感情は動かないはず。そこには同時に寄り添うような丁寧さ(デリカシー)が必要とされるでしょう。細道だとは思っていても、そんな<心が動く瞬間>の中に、私は建築に対しての大いなる可能性を感じてしまうのです。

先に書いたように建築の設計には9割以上の「予定調和」が必要とされます。その条件だけを整理するのであれば、きっと設計という作業はそれほど時間がかからない。でも、そこから先にきっと何かあるはず・・・と信じて、時間を掛けてスケッチを繰り返します。

<心が動く瞬間>を追究する時、私の場合は音楽が好きでギターも弾くので、音楽に変換して考えることが多いです。ゲーテは『建築は凍れる音楽である』といいましたが、音楽が時間軸の上で花開くように展開することから、実は凍っているのではなく「空間は常に変化して、動いている」と定義し直すところから、いつも検討を始めます。もちろん建築自体が動くわけではありませんが、太陽の動きや気候の変動を慎重に検討しながら生活空間に導くことによって、その場の空気感は刻々と変化していきます。いわば、人は建築の中にいながらにして、地球の動きや鼓動(変動)を感じていられるわけです。

また、その空間の中を人が「動く」ことでも変化していきます。視線が変わり、目線が移動していく。その流れ(シークエンス)を作曲するように構成していきます。結果として、そこで何か特別なことをしなくても、日常の中に美しさを加える道筋がそこにあるように感じるからです。そしてその美しさは、人の気持ちを奥底からいつも支えてくれるはずです。

実作業としては1割に満たないかも知れないそんな大切な要素(パラメーター)がたくさん建築にはあって、それを、デリカシーを持ってどう指揮(コントロール)するかと言うことに日々捧げています。<心が動く瞬間>への旅は遠く険しいものですが、そこに一歩でも近づきたいと言う衝動がそれを支えてくれています。
住まいの話題[650]執筆者
■廣部 剛司(ひろべ たけし)/ (株) 廣部剛司建築研究所



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