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アーキテクトルーム

■住まいの話題[699]:既製品って何がダメなの?
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既製品=他者
建築家が住宅を創るとき、どこまで創らないといけないのか。創るべきなのか。壁、床、屋根からはじまり、サッシ、建具、住宅機器・・・家具。建築家はコストがある限り、空間、細部にいたるまでオーダーメイドを目指す。「既製品」を使った住宅は建築家の設計した住宅ではない、というのが暗黙ルールなのか。自ら創り上げた空間に「既製品」という他者が介入するのは許しがたいことなのか。
学生時代

「何で既製品使うの? ここまでつくっているのに!」。学生時代に設計課題の講評会で、ある講師の方からの一言である。学生の設計課題で既製品?と思うかもしれないが、私が卒業した美術系の大学では、実務的な図面、模型をあまり評価せず、建築に対するプロセスとコンセプトを重視する教育でした(少なくとも当時は)。その時の課題はル・コルビュジェの「住宅は住むための機械である」というテーゼに対して、まずは各々が想う「機械」を創り、そこから住宅設計に転換するという課題内容。そこで私は、その「機械」を1/1スケールのモデルで表現した。そのモデルのディテールの中に誰もが見たことのある「既製品」を使っていたのだ。そんなところを批評せず、この全体の構成、思考を批評しろと。結局、その講師には反論はしていませんが・・・。

既製品を使った学生時代の課題作品 既製品の多様な窓が外観を彩るSK-HOUSE
実務時代
大学卒業後、アトリエ系の設計事務所で働き始めた頃、住宅の設計で当たり前に浴室、キッチン、レンジフード、サッシ、インターフォンパネル、建具等、特注やオーダーメイドで設計していた。その当時は何の疑問もなく、建築本体から建具のツマミまで、一つの住宅にかなりの時間と労力を費やした。特注、造作の性能やメンテナンスのリスクを背負いながら完成した建築は、当然のごとく、建築家らしい空間、ディテールが展開する住宅となる。でも誰のためにここまでするのか。もちろん、まずは建主のためなのだが、半分以上は建築家のため・・・。
独立して
当時の「既製品」は本当にカッコ悪く、デザインされた「既製品」であってもネットが普及していなかったため、建材・機器情報誌からの情報しかなかった。建築家がキッチンを特注で設え、サッシもできるだけ細くし、これも特注としてデザインしたため、メディアを通じ、建材・住設メーカーがそれに近い価値を持ちはじめ、それを模倣し、「既製品」を供給しはじめた。今となっては、「モダン」や「フラット」だとか「見付けが細く」ってメーカーまでもが当時の建築家のセリフを広告コピーとしているのが現状。実は、見方を変えれば、建築家のオーダーメイドのためのコスト・リスク・メンテナンス性を「既製品」でカバーできるようになってきているのだ(オーダーメイドの方がコストを抑えられる場合もありますが)。

「既製品」でも、使い方次第で見せ方は変えられる。例えば、某メーカーの半外付けのアルミサッシは、下枠の付属のアングルを取り外せば見込み寸法が15㎜短くなり、一般の木造であれば柱の外側で、外壁をふかすことなく、外壁からサッシの出寸法を抑えながら連窓が可能になる。
「Ready-made」として
私は今のところ、限りある住宅のコストの中で「既製品」を多用している。もちろん、デザイン・コスト・リスク・メンテナンス性を踏まえ創意工夫しながらである。住宅設計の職能を社会へ還元していく過程において、これらと上手くつき合っていくのが自然な流れである。

「既製品」とは「出来合いの品」。だが、デザインと芸術の概念では「Ready-made」として言い換えられる。「Ready-made」の試みとは「既製品」そのものが美しいかどうかではなく、本質なことは、使う人や観る人の思考をどの方向に促し、感じさせるかどうかだと思う。
住まいの話題[699]執筆者
■山本 浩三(やまもと こうぞう)/ PANDA:㈱山本浩三建築設計事務所



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