Javascript is disabled.


アーキテクトルーム

■住まいの話題[711]:懐の深い家
画像をクリックすると大きなサイズで見ることができます。
距離と認知
学生時代に所属していた研究室では、人の空間認知に関する研究を行っていました。特に物や人・風景との距離が数十cmから数km、数十kmに変化するにつれて、感じる領域性や親密感が変化していくことを実証するデータは、今まで漠然と感じていた居心地の善し悪しや場所が持つ個性を、美しさとは別の観点から明らかにするきっかけとなるもので、わくわくしたことを覚えています。

一方、独立してから手がけた仕事は、戸建て住宅や店舗内装・マンションリノベーションといった比較的規模の小さいものでした。たとえば、一般的にそれなりに広いとされる24畳のリビングルームでも、対角線の距離を測ってみると10mに足りません。屋外に目を向けても、街中の敷地ならば、建蔽率に余裕のある地域でも、隣家までの距離が15mを越えることは少ないのではないでしょうか。

室内では、10mを越えてようやく個人的な領域を抜けて公共性を感じ始め、屋外に至っては25m~40mを越えて初めて、対象をプライバシーを害する物ではなく景色として認識できる、とされる領域感覚からすると、規模の大小にかかわらず、住宅の大部分はごく個人的で親密な距離を用いて設計を行うことになります。

一方、視覚領域よりももう少し狭い、身体領域というものもあります。「ひとりでいるなら四畳半、人が集まるなら三間四方の九間」とは住宅建築の名人である吉村順三さんの言葉ですが、一方自分だけしか入れないような、狭く適度に囲まれた空間というのは、広く開放的な場所とは別種の居心地の良さを感じるものです。

人が空間や集団の中で感じる、圧迫感と開放感、あるいは親密感と疎外感、それらの感覚と距離との間には密接な関係があり、多少の個人差はあれ多くの人に共通した感覚です。建築の設計では、全ての空間に設計者が寸法を与えていきます。一度空間に与えられた寸法は、意識的でも無意識的でも、人と物、人と人との距離を規定し、影響を及ぼすものですから、設計者の責任は重大です。
「高津の家」のリビング:
スタジオ風のリビングの裏に、
寝室や書斎や個人のコーナーが
配されている。
「スキマのある家」の書斎:
キッチンの陰に隠れたリビングの
一番端部にある1.5帖程度の
書斎コーナー
空間の深さ
「みんなが集まるリビングはできるだけ広く開放的にしたいんです」最初のヒアリングの時に、多くのお施主さんが口にされる言葉の一つです。では、どんな空間なら「広く」「開放的」と感じることができるのでしょうか?

広大な面積を持ち豊かな自然環境に恵まれた敷地と、潤沢な予算があれば、それぞれ必要な部屋に十分な面積を与え、外に向かっておおらかに開放した家を設計するのがいいでしょう。しかし、多かれ少なかれ面積や周辺環境や予算に制約がある条件の中で、無邪気に同じ手法を用いても、理想に近づけなかった息苦しさが際立ってしまいます。

私は、小住宅における空間の重要なポイントは、広さよりも深さではないかと考えています。さまざまな生活の場面を内包する懐の深さこそが、豊かな空間の生成につながると考えるからです。

いつもは家族でみんなでわいわいと過ごす一方、みんなの気配を感じつつも一人で楽しめる場面もある家。広々として家族だけでくつろげる穏やかな場所がある一方、一人でいっぱいになってしまうようなごく小さなスペースから、街の果てまで見通す視点を持つ場所がある家。室内の延長のような身近で穏やかな緑を楽しめる一方、遠くに見える緑や空に浮かんだ一片の雲だけを慎重に切り取った窓から無限の自然を感じられる家。

私たち設計者が、他人であるお施主さんがこれから長い時間を過ごす家に最大限の想像力を駆使して準備できるのは、家族や街や自然に対する距離をできるだけたくさんのバリエーションで準備することであり、nLDKや帖などで表される単純な部屋の数や広さでははかれない、空間のひだを織り込んでいくことであると考えています。その織り込まれたひだが深ければ深いほど、いろいろな居方を許容し、年月がたって家族や周辺環境が変容してもそれを飲み込む懐の深さにつながるのではないでしょうか。
住まいの話題[711]執筆者
■津野 恵美子(つの えみこ)/ 津野建築設計室



ページTOPへ