Case 6:

鮎川浜の番屋

設計:萬代基介建築設計事務所
文:中崎隆司(建築ジャーナリスト)




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漁師の作業場兼休憩所である「番屋」が、漁業と観光をつなぐ復興拠点となる。漁師の独立の尊重と恊働の拡張をめざした新しい空間の試み。

今後、日本の社会は少子高齢化が加速し人口は急減していく。東日本大震災で被災した地域はこの課題に加え、突然、居場所を失うという現実に向き合った。復興のためには人の居場所や集まる場所、一緒に仕事をする場所をつくらなければならない。

建築家の萬代基介氏が手掛けているのは東日本大震災で被災した牡鹿漁業協同組合の番屋だ。番屋は漁師が作業や漁の後に休憩などをする小屋である。この計画は日本財団の番屋再生プロジェクトという支援事業であり、被災地の漁業の復興拠点をつくるという意図がある。
敷地は宮城県石巻市の牡鹿半島の先端地域に位置する鮎川浜にある。漁業は再開されており、敷地の近くに仮設の市場が建っている。また敷地の近くに防潮堤を兼ねた道路をつくる計画があり、その道路に接続するようにかさ上げして商業観光エリアをつくるという計画もある。
牡鹿半島の先には金華山という観光の島があり、この地域には漁業に従事する住民だけではなく観光産業に従事する住民も暮らしている。そのような地域特性があることから漁協は漁業と観光をつないでいくというビジョンをつくり、番屋を漁業の6次産業化を支援するスタートアップの機能を持った建物にすることになった。
漁師は独立した事業者であるが、被災した直後にボランティア団体が入り、漁協の女性部と弁当屋を始めたことで新しい協働の形が生まれている。萬代氏はこの計画に漁師の独立の尊重と協働の拡張というふたつの軸を立てている。

開かれた建物にすることによって、かつての漁港の風景を取り戻すとともに、使い手が手を加えられる余地を残し、新しい風景の創造を促す。

直径65mmの柱に支えられた、25mm角の鉄骨を井桁に組んだメッシュ状の均質な白い梁が目を引く。その大きさは約15m×35mである。その下に様々な活動の場所をつくるために光の透過率の異なる簡易な屋根を散らばらせて載せている。梁の高さは2200mm~2800mmであり、片勾配になっている。高さはフォークリフトの高さから決めているが、人は台に乗ると梁に届き、魚やわかめを干すなどのことができる。

大半が半屋外の施設だが、2つの大きい部屋を設けている。ひとつは厨房だ。加工品の開発など様々な実験をし、6次産業化の流れをつくるための設備だ。もうひとつは漁師が休憩する場所であり、レクチャーなど多目的に使うことができる部屋である。
萬代氏は大きな梁をきっかけにして漁師が手を加え空間をつくり、新しい活動が風景として現れてくることを期待している。一方で焚き火をしながらタバコを吸う、石油ストーブの上でイカを焼くというような風景を残そうとしている。このようなことが自然に行われるように開かれた建物にして、漁港の風景の復活と新しい風景の創造をしようとしているのだ。都市にはない漁業の風景の集結したものには価値があり、観光につながっていくと考えているからだ。
地域の過疎化が進む中で大震災があり、大きなダメージを負った。復興のための建築が進まないことによって人が流失していく。その状況の中で建築家は未来を考えなければならない。

鮎川浜の番屋
所在地: 宮城県石巻市
発注主: 牡鹿漁業協同組合
設計: 萬代基介建築設計事務所
構造設計: 佐藤淳構造設計事務所
設備設計: EOS plus
運営: 牡鹿漁業協同組合
運営補助: 一般社団法人つむぎや
工事予定期間: 2015年7月~2015年10月
主体構造: 鉄骨造1階
建築面積: 519㎡
延床面積: 230㎡
助成: 日本財団 他
萬代 基介

萬代 基介 (まんだい もとすけ)
1980年 神奈川県生まれ
2003年 東京大学工学部建築学科卒業
2005年 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程修了
2005~11年 石上純也建築設計事務所在籍
2012年 萬代基介建築設計事務所設立
2012~15年 横浜国立大学大学院Y-GSA設計助手
DSA空間デザイン大賞、JCDデザインアワード金賞他受賞多数
http://mndi.net