Case 28:

松山市花園町通り整備

設計:設計領域
文:中崎隆司(建築ジャーナリスト)

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正岡子規ゆかりの松山市花園町通り整備計画は、街路を地域のコモンスペースとして再生させる試み。課題は公と私の境目を突破していくこと。

設計領域の吉谷崇氏と新堀大祐氏が手掛けているのは愛媛県松山市の花園町通りの整備計画だ。2011年に松山市が実施したプロポーザルで設計者に選ばれた。

花園町通りは伊予鉄道・松山市駅と松山城(堀之内公園)を南北に結ぶ副道を含めた片側3車線の道路である。その幅員は約40mあり、長さは約300mある。路面電車が通っており、かつてはにぎわっていたが、現在は歩行者も自動車の交通量も減少している。
この通りを挟んで向かい合う沿道のまちの雰囲気は異なる。東側は小さな町割りであり、西側は大規模なマンションや専門学校などが立ち並ぶ。特に、東側は老朽化したアーケードがかかる狭い歩道に駐輪された自転車が雑然と並んでいる。
松山市は中心市街地に点在する拠点をネットワーク化して歩いて暮らせるまちをつくる計画を進めており、この計画はそのひとつと位置づけられている。
車道を片側1車線に減らし、歩道空間を充実させる計画であり、西側のアーケードは残すが、東側のアーケードを撤去し、電線の地中化も行う。
花園町は正岡子規の生誕地であることから歩道空間に「子規の庭」をつくり、子規が詠んだ様々な花を植える。東西に小さな広場を設け、全体に花壇を配置する。花壇とベンチを一体的にデザインし、植栽のなかに佇める場所を様々な方向に設ける。
歩道の車道側に自転車道を整備し、それに接する形で駐輪スペースをつくり、歩道の駐輪は禁止にする。その駐輪スペースは歩道の風景に溶け込むようにルーバーのフェンスの裏に設け、駐輪ラックもシンプルなデザインにして目立たなくする。

沿道住民も通行人も、ともに自然と交流できる、全体として公園のような街路。民間の力を引き出しながら、公共空間を使ってまちを楽しくしていく。

愛媛県は日本でも有数のヒノキの産地であることから、ベンチやルーバーには地元のヒノキの間伐材を使用する。ベンチにフットライトを入れ、植栽と合わせた照明計画にする。

「沿道の人たちも利用できるし、歩いている人たちも休める。人が自然と居られて交流できる。全体として公園のような街路にする」(吉谷氏)。
車道を一時的に狭くして交通規制をかけ、自転車道を設けるという交通実験を行った。またデッキ空間をつくり、仮設の屋根をかけて椅子やテーブルを置き、にぎわいの場所をつくり、イベントを実施するなどの社会実験も実施した。
「芝生や木を植えるが、フラットな空間を残している。公共空間を使ってまちを楽しくしていく。毎日のように地域のイベントなどが起こるようになればいいなと思っている」(吉谷氏)。
街路を地域のコモンスペースとして再生させる試みである。ワークショップなどで議論を重ねてきており、キーマンがでてきているという。また東側には商店街組合がなかったが、新たに組合をつくり、西側とひとつの管理組合を立ち上げようとしており、整備後の維持管理・運営の仕組みの検討を始めている。
「沿道の店が店前の面倒をみたり、使えるようになると良い。公と私の境目を突破していくことがこれからの課題だ」(新堀氏)。
今後、沿道の民間の力で街路のデザインに呼応したファサードも徐々に整備されていくことだろう。正岡子規を生んだこの通りにどのような文化が生まれてくるのか楽しみである。

松山市花園町通り整備
所在地: 愛媛県松山市
事業主体: 松山市
設計: 復建調査設計・親和技術コンサルタント・
設計領域共同企業体
規模: 幅員約40m, 延長約300m
竣工予定: 2017年10月
吉谷氏

吉谷 崇 (よしたに たかし)
1978年生まれ。
2002年東京大学大学院社会基盤工学専攻修了。
小野寺康都市設計事務所勤務を経て、2009年株式会社設計領域設立。
渋谷区景観アドバイザー、早稲田大学理工学部非常勤講師。

新堀氏

新堀 大祐 (しんぼり だいすけ)
1976年生まれ。
2002年東京大学大学院社会基盤工学専攻修了。
ワークヴィジョンズ勤務を経て、2009年株式会社設計領域設立。
青梅市まちづくり・デザイン専門家、日本大学理工学部非常勤講師。

主なプロジェクト
松山市花園町通り(継続中)、長崎駅舎・駅前広場デザイン(継続中)、 富士宮市浅間大社ふれあい広場、修善寺駅北広場、丹生川ダム広場など。