新しい建築のおおらかさを求めて

社会は今、多様性や寛容性を求めています。
その要請に建築家はいかに応えようとしているのか。
作品を通して探ります。

多義的な建築、余剰が生み出すおおらかさ

第24話

多義的な建築、余剰が生み出すおおらかさ

米澤 隆|米澤隆建築設計事務所

2020.06.10

リノベーションから空き家再生、新築プロジェクトまで幅広く活躍する米澤隆氏。「建築とは未来をつくるとともに歴史をつくること」だという氏にお話をうかがった。

プロジェクトについてお聞きしたいと思います。「斜め格子の農家住宅」からお話しください。

米澤隆(以下、米澤):大阪府高槻市にある江戸時代末期に建てられたという古い農家住宅をリノベーションしたプロジェクトです。
ここに80代後半のお婆さんが一人暮らしをされていて、高齢なので娘さん夫婦が一緒に住むことになったのです。
建設された当初(1860年代)は台所、土間があって四間取のよくある農家住宅です。
南側と北側に縁側があり便所と風呂は外。小屋裏では養蚕をされていたそうです。
それが戦後になって、先代が第二種兼業農家となり、さらに食住分離、寝食分離、公と私の分離という世の中の流れに合わせて、いわゆるnLDK的住宅に変貌していったわけです。
要は規模に合わせて合理的機能的に、つまりモダニズム的に細分化、最適化されていった。その結果、壁が設えられた居室には日中、風も光も入らない。本来農家住宅がもっていたおおらかさが失われた状態でした。

かつての農家住宅は、外部空間があり、縁側や土間があって内部空間があるという、グラデーションで内外がつながっていました。
内部空間も建具で仕切られていたので、開け放てば大きな一つの空間になるし、閉じれば個室にもなるというフレキシビリティがあったのですが、それがなくなっている。
それに対して一般的な耐震補強、構造補強だと、耐力壁を設けますからより細分化されていくことになります。そこでかつてのおおらかさを取り戻すために、いっそのこと屋内の壁をすべて取り払い元の状態にしようと考えました。
しかし、そうすると当然構造が脆弱になりますから、「斜め格子」という筋交状のものを全周に並べ立て、それが意匠性として縦格子のような感じになる構造にしました。
そうすることで内部はすべてフリーで、建具で仕切っていくという設計です。

斜め格子の農家住宅、大阪府高槻市、2017年

斜め格子の農家住宅、大阪府高槻市、2017年
写真:繁田諭(左)、野口兼史(右)

開け放すと住宅としてはかなり巨大な、まるで公民館のようなオープンスペースになります。ここまでオープンにしたのにはもう一つわけがあって、設計期間中に残念なことにお婆さんが亡くなられて、60代のご夫婦二人で暮らすことになったからです。
二人でこんなに大きな母屋はどう考えてももて余します。
お二人とも小学校の先生で、近く定年退職される。そこで退職後はここで学習塾を開いたらどうか、高槻は京都からも大阪からも電車で15分ほどという好立地なので、ゲストハウスや民泊はどうかという話が出たりしました。
現時点ではまだ何も決まっていないようですが、いずれにせよ何でも使えるようなおおらかな状態につくっています。
例えば大人数が来てもどこでも靴が脱げるような大きな土間にしたり、閉じれば個室にもなってゲストハウスとしても対応できるなど、いろいろとシミュレーションしました。
また、もとからあった塀に囲まれた前栽の方にお風呂を移し、プライバシーを守りつつ庭を眺めながら入浴できるようにしたり、小屋裏は寝室というか個室に設え直したりしています。

続いて「空き家再生データバンク」と「みなとまち空き家プロジェクト」という空き家のプロジェクトについてお聞きしたいと思います。

米澤:「空き家再生データバンク」は愛知県津島市にある平屋6軒、2階建て5軒の長屋群をなんとかしたいという相談がスタートでした。オーナーさんは東京にお住まいの60代のご夫婦で、ご両親亡き後相続したものの完全に負の遺産になっていた。というのも土地は隣のお寺のもので所有するのは建物のみ。これを改修するとなると億は超えるし、解体するだけでも1千万円はかかってしまう。今も居住されているのは2軒だけ。最初、東京のNPO法人に相談され、そこから僕の方へ力を貸してくれということで一緒にプロジェクトを進めることになりました。
日本国内には約820万棟の空き家があって、この先3軒に1軒が空き家になるという試算があります。空き家はここだけの問題ではないし、もう少し汎用性のある解決法を考えないといけないなと思いました。
僕が依頼を受けた時は、NPO法人が移住希望者を募るので建築家としてそれに合わせてその人たちが住みたい家ができるような提案、コストや法規についてサポートして欲しいということでした。もちろん一級建築士事務所として活動していますから、できなくはないのですが、僕が力を発揮できるのはそこだけではないだろうと。
この空き家の所有者、住民にも参加してもらえるような設計手法の確立をめざそうと考えました。具体的には2000年以降に実施された木造住宅のリノベーション事例を『新建築住宅特集』に掲載された木造住宅の案件から抽出し資料化しました。リノベーションするからには、単に建物が古くなったということ以外にも何らかの瑕疵というか課題がある。例えば暗いとか狭い、構造が不安だとか、それに対して建築的操作を加える、暗いならトップライトを設けるなど、課題に対する解決方法とそれによる効果等を一旦整理したわけです。
ただ、整理しただけでは一般の方には理解しづらいので、わかりやすく図示したリノベーション図鑑のようなものをつくりました。

空き家再生データバンク、「ユニットモデル」、愛知県津島市、2015年

空き家再生データバンク、「ユニットモデル」、愛知県津島市、2015年

資料化したものは「アイデアの源」で、そこからどういった建築的操作が可能かという「アイデアの種」を考え、具体的な生活像を想定しつつその「種」を組み合わせた「ユニットモデル」をつくりました。さらに、ここの長家群は11軒ありましたので、合計11個の暮らしを想定した「マスタープラン」を描きました。
これに対するワークフローとしては、NPO法人が東京からの移住希望者を募るマッチング・マネジメントをして、移住を決めた方に対してはどれが自分の生活に合うかユニットモデルを選んでいただく。合うものがなければ新たに設計して、それもデータバンクとして蓄積していく。さらにマスタープランをもとに移住希望者の間でどういう関係性がいいか話し合っていくというプロセスで進めていました。その後移住希望者の方が何人か現れ始めた段階で、NPO法人はプロジェクトから離れてオーナーさんが直接進めていらっしゃいます。僕もそういう経緯から一旦退いていますが、移住をすでに決めた方がいらっしゃるので、その方の住戸のフォローはしています。

空き家再生データバンク、「マスタープラン」、愛知県津島市、2015年

空き家再生データバンク、「マスタープラン」、愛知県津島市、2015年

なるほど。

米澤:「みなとまち空き家プロジェクト」は、2016年から毎年秋に名古屋港周辺地域を舞台に「アッセンブリッジ・ナゴヤ」という音楽と現代アートのフェスティバルが開催されているのですが、その一環として始まったプロジェクトです。
フェスティバル自体は、コンサートホールや美術館ではなくまちなかでアートに触れ、音楽を聞くというイベントで、僕はアーキテクトという立場で会場デザインなど建築に関わるところを担当して欲しいという依頼でした。例えば20年間空き店舗だった元お寿司屋さんをカフェ兼展示やイベントができるスペースにリノベーションしたり、3年ほど空き店舗になっていた喫茶店を展示会場にしたり。また、現役のカフェやうどん屋さん、あるいは名古屋港水族館や幼稚園、神社やお寺を会場にしたケースもあります。
そうした活動をしていくなかで、本格的に空き家、空き店舗をまちのために再生し活用していこうということで、東海地方で建築を学んでいる学生有志を20名ほど集め、僕が企画・監修するという立場で「みなとまち空き家プロジェクト」を発足させました。アッセンブリッジ・ナゴヤのスピンオフみたいなものですね。

みなとまち空き家プロジェクト、名古屋市港区、2017年〜

みなとまち空き家プロジェクト、名古屋市港区、2017年〜

そもそもアッセンブリッジ・ナゴヤの目的の一つとして、会場エリア周辺には空き家や空き店舗が多数あり、それをうまく利活用してまちを盛り上げていけないかという意図もありました。この辺りは1960年代をピークに商業港として大変な盛り上がりをみせていたところで、当時は多くの住人がありましたのが今は半減しています。
というのも船舶が大型化してここまで入ってこられなくなり、埋立地が金城ふ頭や飛島村と呼ばれるところに広がっていき、商業港の中心地が移動した。それに合わせてそこで働く人たちも移動して、空き家、空き店舗がどんどん増えていったという状態です。
ところがまちはそういう状況に合わせて変わっていけず、旧態依然と当時のまま。名古屋市としては名古屋港水族館やシートレインランドというレジャー施設を設けたり、いろいろ施策を打ってはいるのですが、施設に人は来てもまちなかまで人が来ないという状態でした。
また、この地区の最寄りの地下鉄駅(築地口駅)近くに、ボートピアという競艇の場外券売場があります。
計画当初まちの人たちは迷惑施設だと反対されたのですが、ここで上がる収益の1%をまちに還元するという約束で実現しました。そのお金を運用する団体として「みなとまちづくり協議会」ができて、まちのガーデニングや小学校のプールを直したりといろいろやってきたのですが、それも一通り終わってきたので、増加する空き家、空き店舗問題に着手しようということになったわけです。
ただ、空き家とか空き店舗というのは個人資産ですから、その資産価値を高めるために公的なお金を使うのは性格上よくないと。そこでイベントという形式を通して盛り上げていこう、それによってまちの資産を利活用していこうということになりました。結果として耐震改修とか設備の更新やアップデートが必要ですから、それがイベント終了後もまちの資産として残っていけばいい。そこに僕が建築家として呼ばれたわけで、そういった裏の意図もありました。

次にガラスパビリオンのプロジェクトについてお話しください。

米澤:ガラスの新しい形を提案するコンペで、最優秀賞に選ばれたプロジェクトです。プランは鱗状のガラスをいくつも重ねていって、光を反射したり透過したり、映り込んだり透けたり、一枚一枚ガラスの透明度などパラメータを変えていくことによって、内部の体験の状態を変えることもできるのではないかということを考えたものです。これは直径約2メートル、大人が二人くらい入れる円筒形で、構造に結構特徴があって、シャボン玉のように、面内方向に表面張力が働くことによって構造体として成立するというものです。つまり柱や壁を設けるのではなく、ガラス自体を構造体にするわけです。具体的には直径2ミリのワイヤーを用意して、事前に80キロの力で引っ張っておいて、そこに特注金物でガラスを留める。合計255枚のガラスを垂直方向と水平方向に連結させていくのですが、そうすると力が途切れない状態ができるわけで、いわゆるテンセグリティの論理です。

Glass Pavilion、AGC studio(東京都中央区)、2013年

Glass Pavilion、AGC studio(東京都中央区)、2013年
写真:繁田諭

ガラスは透明である、軽やかであるとかいろいろなイメージがあったのですが、実はまったくの透明ではなくちょっと緑色であったり反射したり、あるいは重さであったり割れる状態などを体験、実感しました。ここでの経験はAGC愛知工場のリニューアルのプロジェクトにつながったと思っています。例えばロビーでは、「遭遇を生み出す点」として、ガラスがつくり出す透明性、現象性を、ガラスの什器を点在させて表現しています。そこに自動車関係の製品や建築関係など異なるジャンルのものを置くことによって、こんなこともできるのかと、ガラスと遭遇する空間にしています。

新築のプロジェクトについてもお聞かせください。

米澤:「公文式という建築」という学習塾の計画があります。公文式は日本全国どこにでもある学習塾ですが、特定のビルディングタイプがあるわけではありません。民家でやっているケースもあれば公民館を使っていたり、オフィスの一角であったり様々です。実際僕が依頼を受けた方も、居酒屋を改修したところを教室にしていらっしゃった。なぜそうなのかというと、塾を開いているのが週2日くらいで、塾だけでは回していけないからです。塾だけではオーバースペックになってもて余す、教室のない日はどうするかということがあったのですが、お施主さんのお婆さんが俳句教室をやっていらっしゃった。また、このあたりは京都の中でも高齢化率が高い地区でもあったので、ご老人が普段集まれるような場所にしようということを考えました。

敷地の南側は2メートル上がっていて通学路でもある幹線道路が走っています。一方北側は古い町屋が残っている界隈です。こういった立地に対して屋根空間と土間空間のある建築を設計しようと考えました。南側からは直接屋根の中に入っていくようなイメージで、入ると構造剥き出しの屋根裏のような空間になっており、ここがメインの学習塾スペースです。一方北側からは建築の全貌が見えて、大きな開口から地続きに土間空間がある。ここではお絵描き教室やステンドグラス教室、現在は英語教室もやっていると聞いており、まちの人たちにいろいろ自由に場所を貸し出しているようです。

公文式という建築、京都市伏見区

公文式という建築、京都市伏見区、2011年
写真:繁田諭

公文式という建築、京都市伏見区、2011年

公文式という建築、京都市伏見区、2011年
写真:繁田諭

土間空間には中央に木製の大きなテーブル、屋根空間にはガラスのテーブルを設置し、二つのアクティビティを関係づけ、上から覗くとお絵描き教室や、お爺さんお婆さんがステンドグラスをつくっている様子などが見える。逆に下から見上げると、自分のお子さんだったり、お孫さんが勉強している様子が見えてきたり、あるいは階段を行き来してつながっているという建築です。ここでのガラスの使い方は多義的というか、上階ではテーブルですが下階から見ると光が差し込むトップライトにも見える。あるいは別世界を見る窓のようなものにもなるというつくり方です。この建築は何かに特化してしまうのではなく、余剰のスペックをまちの人たちに開放するという、ある意味でおおらかさをもった建築と言えるのではないかと思います。

【写真】米澤 隆氏
米澤 隆 よねざわ たかし
1982年京都府生まれ。2005年米澤隆建築設計事務所設立。2007年名古屋工業大学工学部卒業。2011年名古屋工業大学大学院修士課程修了。2014年名古屋工業大学大学院工学研究科博士後期課程修了、博士(工学)。現在、米澤隆建築設計事務所主宰。大同大学専任講師。

インタビュアー

中崎 隆司 なかさき たかし
建築ジャーナリスト・生活環境プロデューサー。生活環境の成熟化をテーマに都市と建築を対象にした取材・執筆、ならびに展覧会、フォーラム、研究会、商品開発などの企画をしている。著書に『建築の幸せ』『ゆるやかにつながる社会-建築家31人にみる新しい空間の様相―』『なぜ無責任な建築と都市をつくる社会が続くのか』『半径一時間以内のまち作事』などがある。

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