新しい建築のおおらかさを求めて

社会は今、多様性や寛容性を求めています。
その要請に建築家はいかに応えようとしているのか。
作品を通して探ります。

時間軸のある建築をつくる

第28話

時間軸のある建築をつくる

富永大毅|株式会社TATTA

2020.10.05

林業の実態から大きな衝撃を受け「木の循環」に取り組む富永大毅氏。「もう少し長いスパンの視点をもてると、建築、そして社会はもっと豊かになるのではないか」と言う。

浅草で進行中の新築のプロジェクトからお聞きしたいと思います。

富永大毅(以下、富永):場所は浅草寺の北側、いわゆる奥浅草、あるいは観音裏と呼ばれるエリアで、江戸時代は花街として栄えたところです。今も料亭や芸事の練習場などが残っていて、芸妓さんが歩いていたり、風情のある下町といった界隈です。その一角に小さなスナックが2〜3軒入居していた2階建の古い建物があったのですが、その建て替えプロジェクトです。
隣のご自宅にお住まいのご年配のお施主さんは、付き合いのあるゼネコンなどにプランを出してもらったそうですが、どれも納得がいかない。ということで巡り巡って工務店経由で僕のところに依頼がきたというのが経緯です。時間がないということで約3週間で計画をまとめ、ダメ元で提案したところ大変気に入っていただき、その後駆け足でブラッシュアップしながら実施設計を進めました。現在施工中です。

僕たちが提案したプランは、浅草という観光地としてのポテンシャル、そして小さな飲食店、飲み屋が密集するこのエリア独特の下町感を活かし、そういった環境が好きで、ここで働きながら暮らしてみたいという人に向けた店舗兼集合住宅にできないかというものでした。もともと高齢者が多いまちでしたが、最近は若者の姿も見かけるようになって少しずつ変わり始めています。そこで、当初はエレベータのある高齢者もターゲットとした5階建てで話が進んでいたのをひっくり返して、エレベーターもやめて、若い人たちを呼び込んで、まちをリフレッシュするきっかけとなるような建物にしましょうと提案して、お施主さんに賛同いただいた。テーマは「現代の重層する商店町屋」。どういうことかというと、昔は1階に商店があって上に住むという町屋が建ち並んでいたのですが、それを重層化して再現するということです。
また、容積率的には5階建ても可能ですが、斜線の関係で大して面積は取れない。そのために1千万かけてエレベータをつけて保守管理費を払い続けるというのはナンセンスじゃないかということで、階数を抑えて各階の天井高を上げることで不動産価値を高め、容積率に縛られないボリュームの決め方をしています。

現代の重層する商店町屋」台東区浅草 2020年竣工予定

「現代の重層する商店町屋」台東区浅草 2020年竣工予定

構造が非常に特徴的で、壁式ラーメン構造にしています。理由は、杭を打ち出すと結構深く打たなければならないのですが、ある程度自重を軽くして、ちょっと地盤を突き固めれば直接基礎でいけることがわかった。そこで、なるべくコンクリート量を減らし建物を軽くしたかったのと、共同住宅と何が入るか分からない店舗を同じ構造で考えようとした結果、区画壁や雑壁をすべて乾式化したRC造壁式ラーメン構造4階建ての建物になったというわけです。
最初のプランでは1階は1店舗30〜40㎡のコンパクトなスペースを3つ用意する計画だったのですが、工事が始まってから募集をかけたところ1階から2階までまとめて借りたいという申し込みがあり、計画変更して間仕切り壁をなくしています。3、4階の住戸は5戸で、2つがメゾネット、1つがロフト付きという構成です。
鉄筋コンクリート造ですが、ALCと木の縦ログを表裏セットに配置していって、さらにコストダウンのため部分的に木毛セメント板にしたり、乾式と湿式の中間のようなつくり方をしています。各階でプランが違うので面倒だったのがPS関係、配管関係で3、4階の共用部の廊下部分の天井を少し下げてそこで横に引いて北側外壁に出すようにしています。

普通とちょっと違うのは、壁の厚みが途中で変わることです。壁式ラーメンの方は250㎜ぐらいありますが、乾式の壁は戸境のでも130くらいで済む。それをうまくインテリアとしてデザインすることを考えながら設計しています。また、ルーバーというわかりやすい記号を使って、それをエクステリア(2階)にしたりインテリア(1、3、4階)にしたり。同じものが外になったり内になったりするというデザインにしています。もうひとつ特徴的なのが階段で、通りの東側と母屋のある北側に2カ所設けていて、階によって外部になったり内部になったりします。通り側の階段は、途中で角度を変えていて、最初の方は緩やかで、少しおおらかで寛容でパブリックな、ここは座ってもらって構わないといった設えにしています。途中から角度を急にして、そこで心理的なセキュリティスイッチが入るというか、プライベートな雰囲気を高め、ここからはちょっとゾーンが違うなと感じてもらう仕掛けにしています。

「現代の重層する商店町屋」台東区浅草 2020年竣工予定

「現代の重層する商店町屋」台東区浅草 2020年竣工予定
写真:中山保寛写真事務所

これまでリノベーションのプロジェクトが多かった印象ですが、新築を手掛けてみていかがでしたか?

富永:そうですね、リノベーションや内装の仕事では、建築はつくればインテリアも別に発生するのだということを実感していたわけですが、インテリアがどんどん独り歩きしていくデザイン界の風潮の中で、改めてスケルトンとインテリアを同時に考える機会を得て、インテリアが別で発生しないスケルトンというかエクステリアをどうつくれるか考えながら設計しました。基本的にはどうしたら他のアパートと差異化をしつつ、なおフレキシブルな間取りでいられるか、という借り手がつきやすいようにということを考えているのですが、この壁式ラーメンのコンクリートの壁がL字になっていたりカーブしていたりキャラクターをもって存在し、例えて言うなら壁の間に住むのではなく、壁と共に住む、インテリアはあるけれども、それが直接スケルトンの違いにつながっているように感じられるようなインテリアデザインができないかということを考えていました。また、階段が内側になったり外側になったり、ルーバー状の庇がインテリアになったりエクステリアになったり、そうやって内と外を横断していくようなつくり方を考えています。職住や壁式とラーメン、インテリアとエクステリアなどいろいろな要素をハイブリッドさせていることから「奥浅草ハイブリッド」という建物名になっています。

以前、木の循環のような活動をされているとお聞きしました。ここではそういう使い方はされなかったのですか?

富永:最初ウッドALCを使ってみようかといろいろトライはしてみたのですが、防火地域なので無理で、なかなかコスト的にも厳しいということがありました。なのでALCの裏側を多摩産の無垢材で縦ログのようにして自作したり、ルーバーに使っています。僕は木をきれいに見えるように使うことにはこだわりますが、この国が持て余しているのが強度のない杉だと分かっているので、木造自体にはそれほどこだわっていません。それから構造材、特に集成材やCLTを使うと、実は山にお金が回らない。造作材、意匠材に使った方が木は高く売れるので、そちらの方で使うようにしています。また、杉はうまく使わないと色の違いなど意匠材としては使いにくい木ですので、そこは丁寧にデザインすることを考えています。

今はどのようなことをしているのですか?

富永
多摩産材は引き続き「垂木の住宅」シリーズのような形で取り組んでいます。マンションリノベーションで、いわゆる垂木材という60X45の材を積み上げて4立米くらい木を使って壁をつくったりしながら、これまで3棟つくっています。組積造で積み上げていくのですが、そうすると杉の源平が全然色味が違う、それが積層してきれいに見えてくるんです。杉は柔らかいのでできた当初は少し隙間が空いていたりするのですが、3年くらい経つと重さでつぶれてまったく隙間がなくなって落ち着いた感じになります。埼玉で手掛けた住宅では、飯能の赤身の非常に美しい杉(西川材)に着目し、地場産材を扱う製材所からダイレクトに材を買っています。

「現代の重層する商店町屋」台東区浅草 2020年竣工予定

垂木の住宅(西川材) 埼玉県越谷市 2018年
写真:Takumi Ota

最近では「四寸角の写真スタジオ」というちょっと変わった建物を設計したのですが、外側に既存倉庫の鉄骨躯体があって、その中に自立した木造の写真スタジオをつくるという半分建築、半分インテリアのような不思議なプロジェクトです。撮影のための条件を精査するとスパンが5m以上になったのですが、流通材は通常3~4m。5m超の材となるとだいたい集成材になってしまう。先ほど言ったようにそれだと山にお金が回っていかないので、ここでは多摩産材の4寸角流通材を積み上げ、噛み合うような接合部をつくって重ね梁にしていくという構法を採っています。

現代の重層する商店町屋」台東区浅草 2020年竣工予定

四寸角の写真スタジオ 東京都北区 2019年
写真:中山保寛写真事務所

そういった木の循環や山のことを考えようと思ったのはなぜですか?

富永:今国も木を使いましょうと言っていますが、僕たちが取り組んでいる「木の循環」とは多分まったく違うルートです。国が使えと言う木は、CLTとか集成材がメインで、そちらには補助金が出る。ところが、実際はCLTや合板をいくら使っても、山(林業家)にはなかなかお金が返っていかない。切れば切るほど赤字になって、林業は今、基本全部補助金でもっているという状況があります。そういった話を林業者から相談されて、実際に吉野の森を見に行ったことがあるのですが、そこの人が言うには、江戸時代、祖先がここに木を植えてくれたから今僕たちが生きていけていると。そういう時間軸が厳然と存在していて、これは結構すごいことだなと思ったわけです。そういう長い目、長いスパンで建築に隣接する林業という産業が動いていることを知った。僕たち建築家は商業施設などの仕事が増えてくると、時間の感覚がどんどん消費されがちですが、そういう長いスパンの視点をもてると、縮退していく社会の中で、建築、そして社会はもっと豊かになるのではないか。そう考えて林業にコミットし始めているところです。ですから、単に木を使えという消費ベースではないもっと長い目線で見た取り組みです。

戦後住宅をたくさん建てた後に、僕たちの2世代前くらいの人たちが頑張って植林してくれた、それからちょうど今60年とか70年経って構造材が十分取れる太さに成長してきている。一方で製材界の国産材比率はまだ30%くらい。一時期20%を切ったことがあったのが、幾分上がってきてはいるのですが、上がってきた伸び代はどちらかというと集成材、合板、CLTになっています。それだと結局山にお金は戻らない。もう少し山にお金が戻るようになって林業で収入が安定するようになれば、林業も変わってくるのではないかと。そういうマインドシフトに少し足を突っ込んでいこうかなと思っています。林業は毎日山に入らないといけないという仕事でもない。最近、例えば高知などでは観光業の傍ら林業に取り組む人も出てきているようです。

素材つながりで、ガラスについてお聞きします。ガラスはどのような使い方をしますか?

富永:木の話もそうなんですが、変な構法でつくった建築に興味があります。先ほどの浅草のプロジェクトでは、躯体とALCの間に大判の三角形のガラスを入れています。躯体と躯体の間とか、何らかの隙間をうまくデザインしようとすると、ガラスという素材だからこそできる設計というのがあるのかなと思います。

他に最新プロジェクトがあればお話しください。

富永:現在、住宅のようで宿泊施設にもなるというプロジェクトが進行中です。場所は川口市の川口元郷と川口の間くらいにある本町という商店街にあります。ただ、商店街といっても現在はほとんど住宅になってしまっているようなエリアです。ここに古くからの商家があって、昔は御茶屋さん、その後昭和初期には灯油を扱ったり、いろいろ業態が変わったようです。その商店があった場所は今は駐車場になっていますが、庭と蔵が残っている。その蔵をゲストハウスにしたいという依頼でした。お施主さんは日本人ですが、カナダの大学で文化心理学を教えていらっしゃる教授で、日本滞在時はここで暮らし、カナダ在住時はゲストルームとして貸し出すという考えです。

蔵は大谷石の組積造で、これをリノベするとなると結構扱いが大変になるので、既存の壁を外壁に見立て、その内側と外側に架構を跨ぐようにかけて新築として申請するというプロジェクトです。1階は露天風呂のようなお風呂、トイレとちょっとしたサニタリー(洗面所兼ミニキッチン)、リビング、和室、2階にキングサイズのダブルベッドがある主寝室という構成で、4、5人くらいなら寝泊りできる間取りで、蔵の板の間をステージに和室を楽屋に見立てると演奏会もできる、みたいな建物です。

川口市のゲストハウス 川口市本町 計画中

川口市のゲストハウス 川口市本町 計画中

当初はインバウンドを想定していたのですが、今回のコロナ禍の影響で少し軌道修正されました。例えば東京で働いている人が、今どこにも行けないのでちょっと違う空間で仕事をしたいとか、籠もって原稿を書くとか、あるいは家族で気分転換にとか、都心からも30分くらいなのでそういう場所として使ってもらえるのではないか。そこで民泊としてスタートして、ある程度事業として成り立ちそうであれば簡易宿泊所に切り替える、この奥にもう1つ蔵があって、そちらも今後宿泊棟として申請していこうという計画です。このプロジェクトは、僕たちにとってもいわば住空間のモデルルームとして見てもらえるので楽しみにしています。今空き家が増えて問題となっているので、リノベや改築で、そういった状況をデザインできれば面白いかなと考えています。

今後、事務所をどのようにしていく予定ですか?

富永:同世代の多くが結構商業に流れていて、それはそれでちょっと羨ましくもあるのですが、長い目でみたとき、僕はそれはちょっと違うのかなと思っていて、それよりはもう少し長いスパンでつくれるような建築を目指したい。時間軸のある建築をつくりたいということをずっと考えています。浅草のプロジェクトで言えば、江戸時代の食住近接の町屋みたいなものから拾い上げて、今ならどういったあり方、つくり方があるのかチャレンジしているという自負はあります。その延長で何かできるとすると、公共にコミットしていくことかなと考えて、今は公共建築のプロポに挑戦しているところです。

この10年くらいで、約150名の若手建築家の取材をしてきました。まだ取材していない人たちのリストを含めるとかなりの数の若手の設計事務所があり、とりあえず成り立っている。これはすごいことだなと思いつつ、でも継続できるのかなとも少し感じることがあって、今後どうなっていくのだろうと。良い作品をつくり、評価されながらやっていくという方法が一番正当なのかもしれません。ただ、発信していくようなことをしないと、わかってもらえない。

富永:それは非常に僕も感じているところです。今大学の非常勤で教えたりしていると、学生は大学を職業訓練学校のように捉え始めているところが多分にあります。教える側としては研究というか、建築学にもっと突っ込んでいって欲しいと思っているけど、そこに齟齬のようなものを常に感じています。問題は全部そこに集約しているというか、経済活動の延長として捉えるか、あるいは学問とか科学として丁寧に物事を考えていくということの延長として考えるか折り合いがつかなくなっている。建築家が社会の中で活躍するにはどうすればいいか、建築の評価軸がどういうところにあるのか、今こそちゃんと言葉なり評価方法なりにしていかないと本当に辛いなという気がしています。

その評価軸はきっと不動産的、経済的な価値もあるし、そうじゃないもっと長い目でみた建築学問としての価値みたいなものもある。そこが対立すると厳しいので、バランスとして評価がみえるような話をつくっていかないといけないと思います。例えば創造系不動産の高橋(寿太郎)さんなどが、建築家がつくった建物が今はこれだけの価値があるというようなことを伝えるメディアというか、つくった建物が20年で減価償却するといったものとは違う価値を提案していくような事業をやろうとしていて、なんかその延長にあるものは面白いかなと思っています。それができるだけで、僕たちの仕事もかなりやりやすくなるし、逆に言うとそういう状況がないのになぜ今仕事が成り立っているのかわからない。だってハウスメーカーがつくった家でも建築家がつくった家でも、木造なら20年経ったら不動産価値はゼロになる。その辺りの価値のつくり方のデザインができると本当はいいのだろうなと思いますね。

【写真】富永大毅氏
富永 大毅 とみなが ひろき
1978年千葉県生まれ。2001年東京都立大学工学部建築学科卒業。03年ミュンヘン工科大学(Technische Universität München)留学。05年東京工業大学理工学研究科建築学専攻修了。05〜08年千葉学建築計画事務所。08〜12年隈研吾建築都市設計事務所。12年富永大毅建築都市計画事務所設立。17年首都大学東京(現東京都立大学)非常勤講師。18年日本大学非常勤講師。19年株式会社TATTA設立、代表取締役。

インタビュアー

中崎 隆司 なかさき たかし
建築ジャーナリスト・生活環境プロデューサー。生活環境の成熟化をテーマに都市と建築を対象にした取材・執筆、ならびに展覧会、フォーラム、研究会、商品開発などの企画をしている。著書に『建築の幸せ』『ゆるやかにつながる社会-建築家31人にみる新しい空間の様相―』『なぜ無責任な建築と都市をつくる社会が続くのか』『半径一時間以内のまち作事』などがある。

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