社会は今、多様性や寛容性を求めています。
その要請に建築家はいかに応えようとしているのか。
作品を通して探ります。
第30話
伊東建築塾で出会った3人が挑む新しい建築のつくり方
木平岳彦、近藤奈々子、高橋直彦|株式会社Same Picture Company
2020.12.07
設計から施工まで、自分たちでつくれるものは基本的にすべてつくるという混成職能集団「セイムピクチャーカンパニー」。その本拠地葉山でお話をうかがった。
「大三島 憩の家」の概略からお聞かせください。これは伊東建築塾の関係のプロジェクトですか?
木平岳彦(以下、木平):建築家、伊東豊雄さんが主宰する伊東建築塾(NPOこれからの建築を考える)が監修したプロジェクトで、神奈川大学特別助教の吉岡寛之さんと近藤が講師として、また私は塾生の立場で設計に参加しました。
木造校舎のリノベーションですね。
木平:そうです。建物は今の場所に開校したのが昭和31年(1956年)という歴史ある宗方小学校の校舎です。1985年に廃校となり、その後改装されて民宿として利用されていましたが、老朽化が進んで瓦に穴が開いて雨漏りがひどかったり、床下も土のままなので宿泊室にカビの匂いが上がってきたり、いろいろと問題が深刻化していました。所有者である今治市は管理が大変なので取り壊しも考えたいということでしたが、伊東豊雄さんがあの場所にこの建物は唯一無二なので残した方がいいと進言された。それにより、今治市長さんほか市の担当部署と検討するうちに、国の補助事業を活用することとなり改修計画が始まったというのが経緯です。
大三島 憩の家 愛媛県今治市 2018年
事業主体:NPOこれからの建築を考える(伊東建築塾)
写真:Katsuhiro Aoki
どのように改修されたのですか?
木平:外観はなるべくそのままにしたいということで、ほとんど変えていません。宿泊室は細かく区切られた和室が多かったので、それを使いやすく現代的に洋室化しましょうと、各部屋にお風呂とシャワーユニットをつけました。2階は地元の方や学校の生徒さんたちが行事などに利用できるような「サロン」にしています。さらに、海べりにガラスの温室みたいな建物があったのですが、土台だけ残して木造の上屋を建て、宿泊客が海を眺めながらゆっくり過ごせる展望風呂をつくりました。
大三島 憩の家 愛媛県今治市 2018年
事業主体:NPOこれからの建築を考える(伊東建築塾)
写真:Katsuhiro Aoki
近藤さんはなぜ伊東建築塾に入ろうと思われたのですか?
近藤奈々子(以下、近藤):伊東さんが建築塾をやろうかと考えていると話されていた頃、私は伊東さんの事務所の所員で、大三島の美術館(今治市岩田健母と子のミュージアム)を担当させてもらっていたこともあって、大三島に通うようになっていました。美術館オープンの年に建築塾が始まると、いろいろな人が関わり出し、うちの高橋もそうですが地元が大三島というメンバーも入ってきて、普通の設計事務所ではできないような体験がとても面白いなと思い、伊東さんにはなるべく関わらせてくださいとお願いしていました。その頃たまたま私は伊東さんの事務所を退所して独立するタイミングだったのですが、講師として参加させてもらうことになりました。「大三島 憩の家」の改修計画がスタートしたのもその頃で、それなら設計チームの一員としてやってくれと。ただ、方向性は伊東さんをはじめそれぞれ出自が異なる全員で一緒に考えながら決めていきました。
木平さんはいかがですか。また、その後この3人でまとまったのはどうしてでしょうか?
木平:実は自分は建築の勉強をしたことがなく、中学卒業後独学でずっと建築に関わる仕事をしてきたのですが、当時この先どうすればいいかと思い悩んでいました。それまでは、なんとなく肌感覚的にいわゆる建築言語というようなものにちょっとしたアレルギーがあったのですが、一方でそういったことを勉強していかないとその先に進めないだろうなということも薄々わかっていた。そのタイミングで出会った伊東建築塾のテーマが「身体で考える」で、これだったら僕でもできそうだ、とっつきやすく勉強できそうだと思って入ったのがきっかけでした。
塾では、理論理屈も大切だが、身体感覚を大切にすること、粘り強くからだを張って考えること、その積み重ねで建築は出来上がっていくというようなことを、伊東さんがつくられたものを見ながら学びました。もともと建築に対しては、考えるだけでなくつくるところまで自分でやりたかったので、その時出会った設計の近藤、左官の高橋と僕の3人が集まればそれができるのではないかと考えたわけです。実は塾生の仲間に一人、京都で大工をやっている吉村隆之という職人がいて、現在彼を含め4人で住宅など、自分たちでつくれるものは基本的にすべてつくるという活動をしています。
ゲストハウス「素泊り茶房 トマリギ」はどういう経緯で?
近藤:塾生になってからもう何年も島に通って活動していましたので、現地では結構顔見知りが増えていました。その中に今治市伊東豊雄建築ミュージアムで学芸員をされている山田安紀さんという方がいらして、島で何か活動があると必ず参加してくれたり、飲食を共にしたりという仲でした。彼女自身は東京出身の移住者なのですが、今では島中にネットワークをつくっていらっしゃる。それで、ある移住者からゲストハウスの相談を受けたところ、それなら木平と近藤に頼めばいいと紹介してくれたのがきっかけです。
大三島 素泊り茶房 トマリギ 愛媛県今治市 2019年
写真:Akihiro Furuya
プロジェクトの概要を教えてください。
近藤:「憩の家」は建築塾が主体となって手掛けたプロジェクトでしたが、その時施工に参加してくれた、例えば今治の電気屋さん、大島の設備屋さん、大三島の材木屋さんなどと良い関係が築けたというのが自分たちにとって大きな足がかりとなりました。「トマリギ」では、そうしたつながりを活かしながらつくった、お茶農家の施主ご夫婦のためのゲストハウスです。
木造平屋ベースで、ドミトリーがメインのカジュアルなゲストハウスなのですが、そのメンバーで一緒にやれば一から十まで自分たちでつくれるかなということを最初から念頭に置いて設計しました。プランは月1か2、3週間に1回という結構な頻度で現地に入って打ち合わせをしながら作成し、施工についてはあらかじめ高橋や京都の大工、吉村とつくり方、仕上げなどを相談しながら計画しました。普通は設計案が固まってから施工の人に相談しますが、そうではなくて、実際につくる人が設計を見てどう考えるか、それを設計に反映させながら詰めていくという、なるべくフラットにというか、みんなの力が集まったからこそできたみたいなことをやってみようと考えました。
実は当初は既存の建物を改修してつくる予定だったのですが、シロアリ問題が決定的で新築に舵を切ったという経緯があります。改修の予算の中でどう実現するか、お施主さんと話し合いながら、基本分離発注にしてもらい、自分たちでできるところは出来る限りやるということで進めました。お施主さんがとても積極的で、私たちと一緒になってそれこそ塗装などやりやすいところから、建前を手伝ったり断熱材を入れたり、本当に全員が同じ知識と経験を共有できたと思います。実際お施主さんは、建築にとても詳しくなりましたよ。
高橋直彦(以下、高橋):一応「憩の家」の建設プロセスをそのまま「トマリギ」で試すというか、それをどうビジネス展開できるか試してみたいという思いもありました。
大三島 素泊り茶房 トマリギ 愛媛県今治市 2019年
写真:Akihiro Furuya
店舗のデザインもされていますが、最新作を紹介していただけますか?
近藤:トータルビューティカンパニー「uka」という美容ブランドがあるのですが、オリジナル製品もつくっていらっしゃる。それを販売するショップのデザインを頼みたいと人伝に連絡いただいて設計した店舗が2つあります。ひとつは渋谷に今年オープンしたミヤシタパーク(MIYASHITA PARK)内、もうひとつは横浜駅直結の商業施設(NEWoMan)内の店舗で、いずれも什器や壁を左官で仕上げたのが特徴です。そのため打ち合わせには最初の段階から高橋も参加して、素材や左官仕上げと空間計画をセットで提案しました。研ぎ出しの人造石を使っていますが、これは製品のパッケージが少し日本的な雰囲気のあるデザインだったので、3人で話しながら出したアイデアでした。
木平:今左官仕事は樹脂系の材料を使うケースがとても多く、結構いろいろな店舗で目にします。ただ、樹脂系は中はハリボテでほんの数ミリ塗りつけただけ。均一に仕上がるしヒビも入りにくいので、ある意味でいい材料なのですが、あの偽物感みたいなところがとても見ていて嫌だなと思っていました。それでukaさんのショップのカウンターでは、商品の良さと材料の良さを共に演出できるのではないかと、そういう提案をさせてもらったところ賛同いただいたというわけです。
高橋:樹脂を使いたい理由は理解できるところもあるのですが、仕上がりはまったく別物です。
uka store Shibuya RAYARD MIYASHITA PARK 東京都渋谷区 2020年
写真:Katsuhiro Aoki
近藤:事前に実物と同じ形のモックアップをつくって、こんな感じになりますとオーナーさんには見てもらっています。自然のものなのでどうしてもヒビが入ることがあり、入らないに越したことはないけれど、それがこの素材の特徴であり、劣化ではなく経年変化であって、変化していく風合いもいいものだと説明して見てもらい納得していただきました。
ukaのMIYASHITA PARK内の店舗では、京都の職人さんに頼んで和紙も使っています。ハタノワタルさんという、京都で黒谷和紙をつくっている方ですが、きっかけはスタジオ・ムンバイが尾道に日本初のプロジェクトとして手掛けた宿でした。客室が全部和紙でつくられていたのが印象的で、宿の方からハタノさんの仕事だとお聞きし、話を聞きにうかがいました。アーティストとしても作品をつくられているのですが、お会いするととてもきさくな方で、彼もそうした伝統産業が廃れていくことに危機感をもっておられた。それで、家屋に関わる仕事も引き受け、自分で漉いた紙を自分で運び入れて貼ったりしている。そうやってなるべく和紙が見える場所、機会を増やしたいのだと。そこにとても共感して、ukaのショップの施工に参加してもらいました。
uka store NEWoMan YOKOHAMA 神奈川県横浜市 2020年
写真:Katsuhiro Aoki
ガラスという素材について、どのように考えていますか?
近藤:ガラスは近年はスタイリッシュに扱われることが多いように思います。「トマリギ」のゲストハウスでは、左官で塗った壁と扉の上に枠をほとんど見せないようにして欄間的にガラスを嵌めたところが1カ所だけあります。ガラスがそこにあることはわかって、ちゃんと光は通してくれるし音はある程度遮断する。使い方によって自然素材との相性がとてもいい素材だと思います。もともと吹きガラスなどは日本家屋にとても馴染むし、工業製品だけど温かみも出せる、とても魅力的な素材だと思います。
ところで、葉山を拠点にされている理由は何ですか?
木平:大した理由じゃないのですが、ずっとサーフィンをやっていたので、こちらに来ることが多く、あるときこの近くにあったある企業の保養所をアパレルショップに改修する仕事を引き受けることになりました。その建物の2階が空いていて、オーナーさんが貸してくれることになって、当時江ノ島の近くに住んでいたので、そこをしばらく仕事場にしていました。その後2018年に近藤と設計事務所を始め、昨年には高橋も参加して施工まで手掛ける「セイムピクチャーカンパニー」という会社を設立し、スタッフも増えたため現住所に引っ越してきました。
このあたりは保養所も多く、今後そういった施設を活用したアイデアも出てきそうです。逗子、葉山エリアは、鎌倉とまた違った面白さがあると思っていますが、このエリアの可能性をどのように考えていますか?
木平:このエリアには、もともと永く住んでいらっしゃる方がいます。一方で昔から保養所や別荘があったり、東京からの移住者も多かったので、なんとなく住み分けができていて、外から入ってきやすい環境がある。実際、Uターン、Iターンも増えているようで、そういう人たちのケアというか、何かいっしょにできることを考えるのも面白いかなと考えています。住めば本当に心地いいところなので・・・。今回のコロナで東京から移住する人が増えているようですが、鎌倉は移住したくても地代が高すぎるという人が今、三浦半島や千葉の房総半島などに価値を見出しているようで、葉山も移住希望者は多いようです。もう距離は関係ないという場合は、それこそ一挙に大三島へ行くという人もいて、島の人に聞いたところ、コロナ以後移住者がさらに増えたということでした。ただ、週に一度は都内に通わないといけないという人にとっては、葉山とか三浦半島は理想的で、そういうバランスが比較的いい暮らしがここにはあると思います。
高橋:僕たちも「半島暮らし」という活動をしていて、精神的にも肉体的にも豊かな暮らしが三浦半島にありますよ、というような情報発信をしています。
近藤:私は2年前に来たばかりなので、移住初心者的な視点で言うと、とにかく環境がとてもいい。敷地もゆったりして草むらが近かったり。東京では事務所が渋谷区にあって、建築家はよく自然に開かれた暮らしということを言いますが、それを渋谷で考えるのは個人的には心理的に無理があって苦しかった。それがここではとても自然体で考えられる。やはり、自分たちがつくりたいものはなるべく無理のないところで考えるのが一番じゃないかと今は思っています。
進行中のプロジェクトもご紹介ください。
木平:「ほめてこビレッジ」というプロジェクトで、お施主さんは「ほめてこ」という障害者支援施設を埼玉県内の5教室で運営されている事業主さんです。例えば施設の敷地内で椎茸や木耳を栽培したり養鶏場を設けたりして、福祉に農業を取り入れた取り組みをされています。その中の一つの施設に訓練場と付帯設備を計画したいということで、そのための大架構を考えています。付帯設備には出し入れや拡張、縮小が可能で、確認申請もちゃんととれるコンテナと木造の架構を組み合わせるという計画です。そこで、先ほどの大工の吉村と、もう一人うちのメンバーに宮大工出身の木村つねじという職人がいて、大規模な木造建築の経験があるので、彼らなら組み立てて建て込む作業を繰り返せば、かなり大規模なものもできるのではないかと思っています。
近藤:大規模なプロジェクトは、不具合などあったときの補償金額がすごい額になることもあります。設計だけなら、そこは施工会社の責任と切り分けて、お互いリスクヘッジするので、そういう方法は理にかなっているなと、一緒にやり始めて実感するところもあります。一方で踏み込みきれない歯痒さみたいなものは必ず出てきます。そこはやはり自分たちがもっと成長していかないといけないなと思っています。
インタビュアー