新しい建築のおおらかさを求めて

社会は今、多様性や寛容性を求めています。
その要請に建築家はいかに応えようとしているのか。
作品を通して探ります。

ランドスケープの基本は、その土地のあるべき姿に着地させること

第11話

ランドスケープの基本は、その土地のあるべき姿に着地させること

石井秀幸|株式会社スタジオテラ

2019.05.07

沖縄から東北まで、数多くのプロジェクトに参画するランドスケープアーキテクト石井秀幸さん。「おおらかな場所、おおらかな建築をつくるうえで大切なのは、その土地に対して正直であること」という氏にお話をうかがった。

           

石井さんのお仕事で興味深く拝見したプロジェクトが「石巻・川の上プロジェクト」です。

           

石井秀幸(以下、石井):石巻市の北部に「川の上(かわのかみ)」という地区があるのですが、ここに大地主の三浦さん親子がいらっしゃる。お二人とも現在は東京在住で、地主として東京と宮城を往復されていたそうです。場所は、市街地にほど近いところなのですが、東日本大震災のとき、そこだけ大きな被災を免れたそうです。それもあって、地震と津波の被害が大きかった大川・雄勝・北上地区から約400世帯がここに移住することになりました。もともと、まち自体は高齢化でコミュニティの結束に課題をかかえており、大震災がなくても、そういう状況に対して何かしたいと親子で話していらっしゃったようです。そこで、この地区の方が移住のために土地を売って得たお金等をもとに、未来の子供たちの学びや交流の場所をつくろうと、三浦さん親子のネットワークで建築やランドスケープ、プログラムをつくる人たちが集まって始まったのがこのプロジェクトです。こうしてできたのが、もともとあった農業倉庫を改修したカフェと図書館の「川の上・百俵館」で、その時のキーワードが「まちを耕し、ひとを育む」。これは、家でも仕事場でもない居場所、教育、暮らし方の3 本柱をコンセプトにコミュニティの拠点となるような“サードプレイス” をつくろうというものです。サードプレイスという言葉を使い始めた、かなり走りのプロジェクトだったと思います。これが第1期で、かなり人が集まるようになり手狭になったので、「耕人館」という自習室を主な目的とした施設と、誰もが集える広場をつくろうというのが第2期でした。さらに次の第3期として、敷地にある里山を何十年かかけて、あるべき姿に戻していこうという活動で、現在竹林を伐採しています。

【写真】石巻・川の上プロジェクト百俵館 宮城県石巻市 2015年

石巻・川の上プロジェクト百俵館 宮城県石巻市 2015年

 

地域住民の方々の反応はどうでしたか?

           

石井:最初は、ここで一体何をつくるんだろうと、冷ややかというか、あまり興味をもっていただけなかったと思います。私たちは、あえて活動を外に開いて見せていこうと、仮囲いはやめてオープンにしたつくり方をしたところ、徐々に興味をもって参加してくれるようになりました。たとえば、第2期では裏山から玄昌石という硯にも使えるような石を削り出してきて、職人さんと地元住民の方々が一緒になって床に貼っていくような作業もしました。このあたりで、自分が独立するときに思い描いていたランドスケープアーキテクトの像が、だんだん変化していったように思います。プロが一般市民と関わりながら場づくりをする、あるいは地場の素材を使うという面白さ、また、普段見慣れていた場所やものをもう一度見直すという経験は、その後の自分の活動に大きく影響していると思います。

当初考えていたランドスケープに対する考え方というのは?

           

石井:僕がオランダで学び体験したのは、ランドスケープアーバニズムという思想がベースにあって、とても大きな刺激を受けましたし、それは今でもプラスにはなっています。ただ、特に日本では、しっかりシステマチックにつくるのですが、どういうふうにできるのか、その過程は一部の関係者以外、周りの一般人は全然知らない。仮囲いが最後まであって、まったくわからないまま、ある日ポンと見せられる。そういう状況というのは、あまり幸せじゃないなと考えるようになりました。ランドスケープをいろいろなものにダイナミックにつなげるという思想は今でも大事だと思っていますが、一方でつながる様を断片的に見せられたり、「できあがりました、みなさんどうぞ」と突然手渡されるよりも、じわじわと自分たちのものだと思えるようなランドスケープのあり方、つくり方もあるのではないかと考えるようになりました。

このプロジェクトでランドスケープは最終的には人の力なんだという印象をもちました。

石井:確かにこのプロジェクトの体験を通して感じたのは、人が関わることの良さともうひとつ、できた後に場に治癒力が宿るのではないかということです。先ほどお話ししたように第2期では広場をつくったのですが、途中から薪ストーブが入って、敷地に薪が無造作に積まれていた。これをなんとかしようと、広場全体を薪のストックヤードにして、いつも見える状態にしておけば、少なくなってきて薪を割らなければと気づいた人が作業をすればいいと考えました。そこで、薪を収納するラックを円形に組み、上に角材を乗せてベンチにしました。その角材は防腐処理のために柿渋を塗りました。化学塗料ならあっという間にできるのですが、天然の渋柿となると、4〜5回塗り重ねるという、時間とお金のかかる作業になる。それを地域住民の子供からお年寄り、あるいは少しハンディをもつ方まで自発的に参加してくれて、最初はプロの方に教えてもらいながら、みんなでおしゃべりしながら、最後にビス留めするところまで作業してくれたのです。そうすると、自然と世代交流の場になっている。そこで思ったのは、単純に人がたくさんいればできることってあるんじゃないか、そこはこのプロジェクトで学んだことですね。

今後も続いていくプロジェクトなのですね。

石井:そうですね。たとえば里山は今少しずつ竹林や枯れ木を伐採していますが、鹿の問題などもあって植林をどうするか、いかに山を管理していくか考えているところです。今までのランドスケープのつくり方は、建設・土木に近いものでしたが、ここは地域の人に頼ってもできるという雰囲気というか実感があって、トータルで山全体が変わっていくというふうに誘導していきたいと思っています。

   
【写真】石巻・川の上プロジェクト2期たねもみ広場 宮城県石巻市 2018年

石巻・川の上プロジェクト2期たねもみ広場 宮城県石巻市 2018年

 

建築家の方々とお仕事をされていますが、坂茂さんとのプロジェクト(長湯温泉クアハウス)について、その概要を教えていただけますか?

           

石井:大分県の竹田市を流れる芹川に、藤森照信さんが手がけられたラムネ温泉館がありますが、その同じ川に新たに温泉施設をつくるというプロジェクトです。実は塩塚隆生さんが設計された竹田市立図書館のランドスケープデザインを弊社で手がけたのですが、それが終わった後に縁あってこのプロジェクトに参画することになりました。プロポーザルで坂さんの案が選ばれたのですが、レストラン、温泉、洗い場があって、水着になって川沿いを歩いて入る「歩き湯」というのを坂さんが提案された。そこから僕たちが入ることになりました。ずっとうねうねと蛇行する道を歩いていくので、僕たちは「歩く」をテーマにランドスケープを考えました。計画はこの温泉施設、レストランと15棟の宿泊棟からなります。

「歩く」がテーマですか?

石井:そうですね。歩きながらゆっくり温泉に入るというのが竹田市から提示されたプログラムで、この地独特の炭酸水温泉が、ゆっくりとじわじわ長く入る方が体に効果があるということから、長く入り続けられるように工夫されています。また、湯中運動できるところが用意されていたり、ここならではの浸かり方というのを健康増進の事業として打ち上げている。ラムネ湯は基本的に温泉という扱いですが、こちらはより健康にシフトしたプログラムを組んでいるようです。

【写真】長湯温泉クアハウス 大分県竹田市 2019年

長湯温泉クアハウス 大分県竹田市 2019年

 

建築家とどのようなやりとりをしているのかお聞かせください。

石井:僕たちの基本は、土地に対して正直であることです。プロジェクトは現在沖縄から東北まで様々で、建築家のほかインテリアやいろいろな方とチームを組むわけですが、そうした人たちがやりたいこと、そのメッセージのようなものをつなぐような感覚でいつも取り組んでいます。ただ、建築家の方の個性やメッセージがどんなに強くても、僕たちとしては、地に足をつけて設計することを心がけています。言い方を変えると、建築家の意向は尊重しながらも、基本的にはその土地のあるべき姿に着地させることを考えます。あるべき姿とは何かというと、雨水が一番分かりやすいと思いますが、地形に合わせて排水させること。それに逆らうようなありようは、どうしても問題を起こすわけです。逆にあるべき姿にしておけば、建物もランドスケープも長くあり続けられる。樹もあるべきところじゃないと、いつか根が腐ったり、風に吹かれて倒れてしまったりする。ごく当たり前のことなのですが、それはいつも建築家の方やクライアントに伝えるようにしています。僕たちの仕事はその都度違う土地、違う個性の建築家とのコラボレーションです。建築家の中にはとても個性やメッセージが強い方もいらっしゃるので、そのバランスは自分としてはいつも気をつけるようにしています。

日華イノベーションセンターや能作新社屋は「外構のデザイン」、長崎のジョブポート(Nagasaki Job Port)や岐阜協立大学のキャンパスは「居場所づくり」という印象です。

           

石井:施設の用途によるのかもしれませんね。日華は明らかにそうで、敷地がとても狭かったので、どこまで空間の広がりを見せられるか模索しました。能作も、割と広いようで狭い。その割に与件がたくさんあって制約が多い。そうすると対応もおのずと決まってくるところがあります。一方、岐阜や長崎のプロジェクトでは、そのあたりはかなり自由で、特に長崎の場合はどういう使い方をするか決まっていませんでした。施設にはハンディのある方、自閉症の方などがおられ、その家族も招待して年に二度ほど餅つき大会があり、多い時は100人くらい集まる。そういう時も想定しながら提案して欲しいというリクエストでした。岐阜のプロジェクトも、学長からの要望は、学生数の減少から短大と合併するので、とにかく人の気配が感じられるようなキャンパスにしたい、学生たちの姿を地域に見せると同時に、地域の人たちにも入ってきて欲しいというものでした。そこで、建築家に相談しながら食堂から見たときに緑と建物に包まれて広がるような空間を提案しました。

【写真】能作新社屋・新工場 富山県高岡市 2017年

能作新社屋・新工場 富山県高岡市 2017年
写真:車田保写真事務所

【写真】岐阜協立大学 岐阜県大垣市 2018年

岐阜協立大学 岐阜県大垣市 2018年
 

素材のことをお尋ねしたいのですが、たとえばガラスについて、どのようなお考えをお持ちですか?

石井:実はガラスを使った物件がまだありません。ただ、ガラスをどういうところで意識しているかなと考えると、例えば能作の場合、建築の内部から見た風景、ガラスに映り込む風景が、世界を広げてくれるということで、窓から見える風景、あるいは振り返る風景をとても意識しています。名古屋学院大学のプロジェクトでは、キリスト教系のクラシックなイメージの学校だったため、キャンパス全体が交流の場となり、今までにない使い方ができる場所にしたいということでした。そこで建築に合わせてランドスケープも円で構成したのですが、その円がガラスに写り込み、ある時間にしか見えない風景が生まれた。そういうつながりというのが、ガラスだと無限大だなと思いました。津市のホールのプロジェクトでは、練習場としてアウトドアステージをつくり、ガラスに自分たちの姿が映り込むような仕掛けを建築家と一緒に考えました。ガラスはずっと興味のある素材としてあって、平面としてだけでなく立体的にみたガラスの美しさのようなものを自分たちのプロジェクトでも提案できる機会があれば、もっと考えてみたいと思っています。

【写真】名古屋学院大学 愛知県名古屋市

名古屋学院大学 愛知県名古屋市

 

進行中のプロジェクトをご紹介ください。

           

石井:東京の町田市に来春オープンする予定のプロジェクトがあります。町田の里山的な場所に複数の公園や施設からなる森(町田薬師池公園四季彩の杜)があって、その林の中にカフェや案内所等の機能をもつ施設「ウェルカムゲート」をつくるという計画で、山田伸彦(山田伸彦建築設計事務所)さんと一緒にプロポーザルで選ばれたものです。実は当初、大きな1棟に機能をまとめるという基本計画だったのですが、これだけ豊かな緑地にそれはないだろうと、僕たちはその基本計画に謳われていた趣旨を咀嚼しながら崩していって、結局斜面地に分棟のプランを提案しました。高低差20メートルくらいのなだらかな斜面地に、5つの建物がランドスケープに合わせて風景に溶け込むよう配棟されています。

今回の連載のタイトルにもなっている「おおらかさ」ですが、ユーザーが多様な価値観をもち、建築家、デザイナーも多様なデザインをするようになると、それを受け止める人なり場所におおらかさがあった方がいい。多様性を受け入れるためにはどうすればいいと思いますか?

           

石井:いろいろな考え方、多様性があるからこそ文化が育まれる。一方で多様性があるから戦争も起きる。生き物で「多様性」というと、優しいイメージがありますが、実はそこにも生存のための大変な戦いがあります。僕たちとしては、繰り返しになりますが、あるべき姿に習うという、ある種の謙虚さをもって応えることが大切なのだと思っています。人間は自分たちの力で何でもできると錯覚してきましたが、もう限界が見えてきている。おおらかな場所、おおらかな建築をつくるうえで大切なのは、素直になることなのかなと。いろいろな考え方を受け入れるおおらかさ、それはランドスケープを考えるときいつも意識しています。

今後、建築やランドスケープはどのように変化していくとお考えですか?

           

石井:今僕たちは地方の仕事が多いのですが、海外のウガンダ、ラオスなどの発展途上国の仕事に参加してみて大きなギャップを感じました。日本の地方は衰退し、商店街が廃れまち全体が荒んでいるといった状況がある一方で、アフリカやアジアはとても元気だったりします。そういうギャップを意識しつつ、今リノベーションやまちづくりで、地方の再生に一石を投じる人たちもいて、僕たちもそういう仕事をさせてもらってきました。そこで学んできたことを活かしたい、つまり、衰退したことをネガティブに伝えるのではなく、地方の学びを日本の他の地方や世界の発展途上国に伝えられるのではないか。百年後に何が起きるか提言すること、それは今生きている自分たちにできることのひとつだと思っています。日本では近年、つくることに対してネガティブな意見が出やすい雰囲気もあると思いますが、もう少し長い目でみた、社会に寄与するようなランドスケープがこれからは求められていくのではないかと思っています。

【写真】町田薬師池公園四季彩の杜ウェルカムゲート 東京都町田市 進行中

町田薬師池公園四季彩の杜ウェルカムゲート 東京都町田市 進行中

 
【写真】熊谷 玄氏
石井秀幸 いしい ひでゆき
1979年東京生まれ。2003-05年ベルラーヘ・インスティテュート(オランダ)。2005-08年株式会社久米設計。2008-12年株式会社LPD。2013年〜株式会社スタジオテラ代表取締役。2017年〜千葉大学園芸学部園芸学科及び武蔵野美術大学造形学部建築学科にて非常勤講師、山梨県景観アドバイザー。2014・2015・2018年グッドデザイン賞ベスト100受賞など。

インタビュアー

中崎 隆司 なかさき たかし
         
建築ジャーナリスト・生活環境プロデューサー。生活環境の成熟化をテーマに都市と建築を対象にした取材・執筆、ならびに展覧会、フォーラム、研究会、商品開発などの企画をしている。著書に『建築の幸せ』『ゆるやかにつながる社会-建築家31人にみる新しい空間の様相―』『なぜ無責任な建築と都市をつくる社会が続くのか』『半径一時間以内のまち作事』などがある。