新しい学校建築のデザイン

位置付けによって建築の現れ方がまったく異なる教育施設

第4話

位置付けによって建築の現れ方がまったく異なる教育施設

飯田善彦|株式会社飯田善彦建築工房

2021.09.06

「小・中学校は地域施設として捉える。大学キャンパスはまちをつくるようにデザインする」。教育施設を多数手掛ける、飯田善彦氏にお話をうかがった。

横浜市の小学校2校についてからお話しください。

飯田善彦(以下、飯田):最初に手がけたのが横浜市立美しが丘西小学校で、それまで何度か挑戦してようやくとれたプロジェクトでしたから、かなり気合いを入れて取り組みました。ただいざ始まるといわゆる標準設計を考慮しなければならないことがわかりました。一部それを見直したいという話もあったのですが、なかなか変えられないことも多く、結構苦労しました。

横浜市立美しが丘西小学校 外観

横浜市立美しが丘西小学校 外観

敷地は閑静な住宅地の中にあり、南に街並みを一望する高台の造成地でした。普通、北の擁壁側に校舎を、南にグラウンドを置くのですが、僕は擁壁と校舎の間の狭い隙間がいやで、校舎や体育館などの施設を南側に寄せ、北側にグラウンドを配置しました。日当たりの良い南面に普通教室、北面に特別教室、中央に多目的室を配し、南北に走る廊下を通して風が抜け、3カ所に設けた中庭からの採光で明るい教室ができたと思います。設計を始めたのが2010年で、13年春に開校しました。開校してから何度か様子を見に行っていますが、先生方には好評のようです。

横浜市立美しが丘西小学校 普通教室、光庭

普通教室(左)、光庭(右)

汐見台小学校は2018年のプロポーザルで選定された建て替えプロジェクトです。実は美しが丘西小学校を受託した当時は、同校が最後の新築になるだろうという話でした。しかしながらその後、老朽化が進む小・中学校約380校を順次建て替える施策に変わり、汐見台小はその最初のプロジェクトです。

横浜市は建て替えにあたって、その地域に何が必要か事前に調査したうえで、集会所とかコミュニティセンターのようなものを合築するストーリーを考えています。つまり、小・中学校を地域施設として捉える。その考え方はいいのですが、実際には複合化にならず管理上も分けているようです。ただ、例えば高齢者のため、あるいは子供のための何らかの施設をつくって欲しいという話になった時に、小学校そのものが変わっていくきっかけになるだろうし、そういう方針をとったこと自体はよかったと思います。

汐見台小の場合は小学校単独なのでそういった地域施設的な与件は残念ながらありませんでした。敷地は南側にゆるやかに傾斜する形状で、森を挟んで2つあるグラウンドの配置はそのままに、1層分高いレベルに校舎群を配置し、段差と傾斜を利用しながら使いやすい構成にしています。

横浜市立汐見台小学校 プロポーザル提案時の鳥瞰パース

横浜市立汐見台小学校 プロポーザル提案時の鳥瞰パース

最大の特徴は中央部に設けた大階段ホールで、幅12m、階段部分だけで8mあります。基本設計が終わったところで、先生方や内部関係者への説明会があったのですが、「これ、いろいろなことに使えますね」と言ってくれる人がいました。僕たちの意図はまさにそこにあります。この階段を1階から上がっていくと、2階レベルに中庭があって、その階に配した図書館や特別支援教室から直接中庭に出ることができます。また、そこには音楽室も面していて、大階段を含めこのあたりが生徒たちにとって豊かな空間になると思っています。

課題になったのが廊下で、美しが丘西小ではかなり広くとれたのですが、汐見台小では2mにしてくれと。子供たちが6年間生活する場所として、いかに豊かな空間にするかを考えたとき、それはないだろうと、柱の断面形状を工夫して、なんとか変則的に2.5mを確保しました。実は先ほどの大階段も、プロポーザル案で評価されたポイントだったにもかかわらず、基本設計が始まると予算の関係で狭くしたいと言われ、かなり抵抗し、大攻防戦でしたが開発を逃れることを理由になんとか死守したという経緯があります。

そのほかいろいろありますが、話が予算と管理の問題に集約してしまうところがあって、教育論とか学校のあり方、地域の問題といったところへなかなか議論が進まない。担当者も大変だと思いますが、もっと本質的な議論に向かってくれればと思います。

次に大熊町教育施設整備事業についてお聞かせください。

飯田:大熊町は、ご存知のように原発事故のために全町避難となった町です。町役場と教育施設(小・中学校、幼稚園)は、100km離れた会津若松市に移転し、同市内の施設に間借りして運営されてきました。その後内陸部に除染地域をつくり、そこに新庁舎や住宅を整備して復興、帰町を進めようとしていて、この教育施設もその事業の一環として位置付けられています。

大熊町教育施設整備事業 模型(2022年竣工予定)

大熊町教育施設整備事業 模型(2022年竣工予定)

プロポーザルに参加するにあたって、要項を読んで面白いなと思ったのが、新しい学校のあり方のようなものが、ここで実現できるかもしれないと感じたことでした。
というのは、プログラムの基本が0才から15才の子供が学ぶ場所なのです。さらにそこにまちの人も入ってくる生涯学習的な使い方をしたいと。つまり、0才から100才までが使う教育施設だという位置付けでした。課題はそういう人たちがいかに混じり合えるかということだと考え「上手に混じることの重要性」をダイヤグラムにしてみました。図式的には真ん中に図書室と広場があって、その周りにいろいろな施設がぶら下がるようなイメージで、大きなスケルトンとインフィルをセットにしました。それを最初、四角形のグリッド状のパタンでまとめてみたのですが、部屋の配列とか動かそうとすると、どうも窮屈で、どうしてもグリッドに縛られてしまう。町からも「四角い建築はつまらない」とか言われましたね。そこでグリッドを三角形にしたところ流動的になって自由に配列できるようになりました。

教育施設というものは、どういう位置付けがされているかによって、建築の現れ方はまったく違ってきます。僕たちは教育に対する施主の考えを建築にするわけです。大熊町ではイエナプランを理想に掲げています。これは異年齢グループでクラスを編成し、1人ひとりの個性を大切にしつつ自律と共生を学ぶというもので、軽井沢風越学園などがこの方式に近く、最近注目されている教育方法です。つまり「混じって成長する」ということです。それを公立でやろうとすると限界があるのですが、相当頑張って挑戦しようとしています。

大熊町教育施設整備事業 模型(2022年竣工予定)

大熊町教育施設整備事業 模型(2022年竣工予定)

今横浜の小学校とこの大熊町の教育施設を並行してやりながら思うのですが、日本の教育の現状を反映していて、方向性がまったく違って興味深いですね。例えば都市間競争において教育は非常に重要な要素で、いかに優秀な人材を育てるかが問われています。もちろん何がきっかけで子供たちが伸びるのかわかりませんが、とにかく大熊町ではいろいろな人たちが入って、子供たちもそこに一緒にいて個別の教育をしていくための場所をつくるという感じで進んでいます。ただ、打ち合わせをしていると「0才から100才まで」と言いながら、セキュリティラインをどうしようかという話になったりもします。それでも普通の教育委員会では絶対しないようなことをやっています。

実際に今会津若松市の仮校舎では、小・中が一緒になって学校生活を送っています。総勢9人でそのうちの4人はハンディキャップのある子供たちなのですが、みんな一緒になって学んでいる。そういう意味では子供たち同士も助け合う豊かさがあります。

建築はどうつくられるかによって、次の可能性のようなものが展開できたり、あるいは阻止されたりしていく。だから僕たちはどこまでオープンに、自由にしていくかを考えながら設計しますが、それはクライアントと戦って獲得するようなところもあります。

大学をいくつか手がけられています。龍谷大学についてお聞かせください。

飯田:龍谷大学はもう足掛け15年以上の付き合いで、深草キャンパス内庭の修景計画がきっかけです。それが竣工してから5年後、キャンパスでもっとも古い1号館という校舎の老朽化が激しく、建て替えを機にキャンパス全体を9年くらいかけて見直すという施設整備計画(第5次長期計画)のコンペがあって、僕たちにも声がかかった。参加した設計事務所には強敵がいたのですが、なんとか勝ち取ることができて、それからずっとお付き合いさせてもらっています。

龍谷大学深草キャンパス「和顔館」

龍谷大学深草キャンパス「和顔館」

最初につくったのが「和顔館(わげんかん)」という棟で、延床面積が約2万8千㎡あります。赤レンガタイルの箱型の閉鎖的でカクカクした建物が並ぶ中で「歴史、環境を継承しながら、新しい教育のあり方を提案する建築」として、僕たちは既存の建築群と逆のことを提案しました。つまり、構造をスラブとコアにして、あとは全部ガラス張りという開放的な建築にしたわけです。同時にキャンパス全体を特徴付けているレンガタイルをコアの仕上げに使用して、既存の棟との調和も図っています。機能としては図書館。講義室、研究室などが入った複合施設で、2015年に供用を開始してから、キャンパスの雰囲気がガラッと変わったようです、例えば図書館の使用率が倍近くになった。ガラス張りの講義室は賛否両論あったようで、最初はブラインドを下げる先生が多かったようですが、だんだん定着してきて、今ではガラス越しに見られることに抵抗がなくなったようです。これを皮切りに、小体育館(「専精館」)、最近では昨年完成した「成就館」という棟をつくりました。これは本格的ホールと学生たちが自由に使える多目的室を備えた建物で、僕はそこが授業にも使えるようにつくっています。

龍谷大学深草キャンパス「成就館」

龍谷大学深草キャンパス「成就館」

いわゆるラーニングコモンズですか?

飯田:ラーニングコモンズは最初の「和顔館」で様々に実現しています。設計したのが約10年前で、その頃ラーニングコモンズは学生のための機能、サービスとしてすでに注目され、あちこちの大学でつくられ始めていて、僕たちも同志社大学に見学に行ったりしました。関西圏は特にそうなのかもしれませんが、生き残りをかけて各大学が競って取り入れているように思います。

結局僕たちは、今お話しした建物のほかに学生寮を含め4棟をつくって、第5次長期計画は終了となりました。その後、これからどうするかというコンペが去年の暮れに再びあって、今回もなんとかとることができたのですが、それが今度は20年計画。幸い事務所に10年担当してくれた、龍谷大学の生き字引といわれるスタッフがいて、彼の知識がこれからもちゃんと活かせる場面ができたのでよかったと思っています。

これからの20年、どういうビジョンを描いていますか?

飯田:実は10年前も同じようなことを書いたのですが、今回のコンペでもこのキャンパスがある「深草を森にする」というタイトルをつけました。大学が維持していく場所をどう捉えるかを考えた時、内しか向かなかったものをどう外に向けるかというテーマをちゃんと建築でつくっていくべきではないかと。森は実際につくりたい具体的なイメージですが、地域の中心という意味も込めています。そこには地域の人たちと一緒になって何かやっていくようなことも含まれます。

例えば今までの研究室は水回りも部屋の中にあって、扉を閉めれば外と隔絶される。それを「和顔館」では部屋には設けず、フロア2カ所に共用の水回りを用意し、かつラウンジ化して何かしようと思えばできるスペースにしました。そうやって研究室をオープンにしたのですが、さらに今度は研究室と学生の居場所を一緒にできないかと考えています。

また、森のつくり方として、テラスから上に繋げるように緑化して人の居場所をつくり、内とも繋げていく。そうやって内外を繋げながら立体的に行き来ができるような場所をつくって、いろいろな場所でいろいろな人がいろいろなことをできるように考えています。コロナ後は特にこの外部空間のつくり方が重要じゃないかと思うのです。それから、キャンパス内に食事をしたりお茶したりできる場所をあちこちにつくる。最近、おいしい食事ができるかどうかが大学の評価で重要なポイントになっているそうですから。

まちをつくっていくような感じにシフトしていくのかなと思います。学会(日本建築学会)でも今、いろいろな人が入ってきて議論する場所として「リビングラボラトリ」という考え方が大きなテーマになっていて、僕は以前からそれは大学キャンパスが最適ではないかと考えていたので、それをいかに実現するか、ここで長期的に取り組んでいきたいと思っています。

特に地域連携のような話は、これから結構大学にとってとても重要になると思います。教育をキャンパスの中に留めるのではなく、そこをきっかけにしながら社会とどう繋がるかということだと思います。そういうことが生まれやすい環境をつくっていくことが、特にこれからの大学にとって重要じゃないかと思っています。

【写真】飯田 善彦氏

写真:ToLoLo studio

飯田 善彦 いいだ よしひこ
1950年埼玉県浦和市(現・さいたま市)生まれ。73年横浜国立大学工学部建築学科卒業。同年沖縄国際海洋博覧会・船クラスター施設展示設計企業体。74〜80年計画設計工房(谷口吉生、高宮真介)。80〜86年建築計画(元倉真琴と共同)。86年一級建築士事務所飯田善彦建築工房設立。91年株式会社飯田善彦建築工房一級建築士事務所に改組。2007〜12年横浜国立大学大学院Y-GSA教授。13〜16年立命館大学大学院SDP客員教授。14〜17年法政大学大学院客員教授。

インタビュアー

中崎 隆司 なかさき たかし
建築ジャーナリスト・生活環境プロデューサー。生活環境の成熟化をテーマに都市と建築を対象にした取材・執筆、ならびに展覧会、フォーラム、研究会、商品開発などの企画をしている。著書に『建築の幸せ』『ゆるやかにつながる社会-建築家31人にみる新しい空間の様相―』『なぜ無責任な建築と都市をつくる社会が続くのか』『半径一時間以内のまち作事』などがある。

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