新しい学校建築のデザイン

建築家が学校建築のデザインを手がける意味と可能性

第5話

建築家が学校建築のデザインを手がける意味と可能性

松井亮|松井亮建築都市設計事務所
坂東幸輔|坂東幸輔建築設計事務所

2021.11.01

人間を形成していく上で学校建築はきわめて重要な環境。その環境を魅力的なものにするためには、変えていかないといけないことがたくさんある。

まず、坂東さんから「アオバジャパン・インターナショナルスクール光が丘キャンパス」について、その概要をお話しください。

坂東幸輔(以下、坂東):実は広島のあるインターナショナルスクール(神石インターナショナルスクール/広島県神石郡神石高原町)の設計をしたことがきっかけでインターナショナルスクールに非常に興味をもちまして、今自分が住んでいる練馬区にあるアオバジャパン・インターナショナルスクールに娘を通わせることにしました。その入学試験の面接で広島での活動をお話ししたのですが、それから半年後くらいに仕事の相談がきたというのが、同校の校舎を設計することになった経緯です。
場所は練馬区の光が丘という大規模団地があるエリアで、その中に数校あった区立小学校で廃校になった校舎を借り受け改修し、幼稚園から18歳まで年齢幅15歳という子供たちが一緒に学ぶ校舎をつくるというプロジェクトでした。最初はそのリノベーションの相談をしたいということで声をかけてもらい、コンペを経て設計することになりました。

Photo © Nacása & Partners Inc. FUTA Moriishi

Photo © Nacása & Partners Inc. FUTA Moriishi

最近、インターナショナルスクールが非常に注目されているようで、アオバジャパンは国際バカロレアがとれるということもあって、生徒数がどんどん増えているらしく、今回のリノベーションもそうした増員に対応するためのものでした。
そこで求められたのは、壁や間仕切りで教室や廊下が区切られた従来の標準的な校舎ではありませんでした。彼らが考える教育は、そうした閉じた形式の校舎とまったく相容れないもので、イメージとしてはフリーアドレスのオフィスのように、どこでも勉強ができる空間にして欲しいということでした。例えば普段は昼食時しか使わない学食でも勉強できるようにする。そこで、パーティションはすべて取り払って、廊下や教室の素材をすべて同じものにしました。床はもともと使われていたパーケットフロアで統一しました。

Photo © Nacása & Partners Inc. FUTA Moriishi

Photo © Nacása & Partners Inc. FUTA Moriishi

インターナショナルスクールはモノがとても多い。通常の学校と違って教材をすべて学校側が用意するためで、教室がいつも物で溢れているという状態のなかで、どうやってデザインをコントロールしていくかというのがなかなか大変でした。そこで工夫したのが天井です。天井に45度に振ったパタンの照明をつけて共通にすることで、しっかり均質な感じで空間を照らすことができようにしました。これは、もしかしたらインターナショナルスクールだけではなく、他の公立の学校でも適用できるのではないかなという意味で意欲的なデザインだったと思います。それから、オープンにしたことによる音の問題は当初心配しましたが、皆さん気にせず授業されているので、それはよかったなと安心しました。これまで幼稚園児と小学1年生のための1階部分が完成していて、それ以降の小学生、中学生、高校生が使う2階と3階のリノベーションが現在進行中(2021年8月現在未完成)です。

廃校を宿泊施設などに他の用途に再利用する例はありますが、学校として再利用する例は少ないようです。

坂東:実はかなり生徒数が増えているそうで、高等部だけ独立して、本駒込にある文京学院大学女子中学校・高等学校の校舎を間借りし「文京キャンパス」として、今そこもリノベーションしているところです。おそらく、日本の私立学校が縮小していくなかで、インターナショナルスクールは成長しているという状況を象徴していますね。ただ、日本の学校教育法ではインターナショナルスクールは学校として認められていないため、ここは事務所として間借りすることになっています。光が丘キャンパスの方は、練馬区の特例でインターナショナルスクールという用途で学校として使用されています。

Photo © Nacása & Partners Inc. FUTA Moriishi

Photo © Nacása & Partners Inc. FUTA Moriishi

次に松井さん、自由学園の「みらいかん」についてお話しください。

松井亮(以下、松井):自由学園は、ご存知のように1921年、フランク・ロイド・ライトが設計し、現在「明日館」と呼ばれている建物を校舎に開校した学校です。その後、1934年に現在のキャンパス(東久留米市)に移転して、ライトの弟子だった遠藤新さんの設計による木造校舎群、その後に息子の楽さんが設計した図書館等が建設され、現在の形になっています。広大な敷地に豊かな緑がある本当に素晴らしい環境のキャンパスです。
自由学園はもともと女子部として創立されましたが、その後初等部、男子部、幼児生活団、大学に当たる最高学部などが順次開設されてきましたが、木造の校舎は50年間建てられていない状態でした。そこに新しい校舎の計画があるということでお話をいただいたのですが、主な機能としてはいわゆる学童保育に近いもので、学園の初等部の児童を保護者が迎えにくるまで過ごす施設として、また未就園児と保護者の集いの場として計画されました。そのため建築用途としては児童福祉施設になります。

なるほど。

松井:自由学園にはそのユニークな教育方針を表す「生活即教育」というモットーがあります。例えば畑で野菜を栽培し、豚を育て、それらを調理し、共に食することで食の循環を学ぶなど、生活することがそのまま実践教育になるような活動をされています。その活動の一つに、70年以上続けてこられた植林活動があります。学園創設者が戦後、木を育て、将来それで校舎を建てようと考えて始められた活動ですが、学校建築の法律が変わって木造校舎は建てられなくなり、鉄筋コンクリートの校舎ばかりになっていったわけですが、その後最近になって法改正により木造も可能になっています。そういう経緯もあって、学園でも最後に建てられた最高学部の校舎も鉄筋コンクリートで、木造の校舎は50年以上つくられていませんでした。
プロジェクトが始まってしばらくして、理事長や学園長から植林活動の話をうかがい、植林地の木を建設に使えたりしませんかと問われ、積極的に使いましょうとお答えしました。そこで、まさに学園の教育理念を体現するような建築をめざし、結局構造から仕上げ、家具など、校舎全体の70%以上をその植林地の木を使って建てることになりました。

自由学園「みらいかん」(2017年)ファサード

自由学園「みらいかん」(2017年)ファサード Photo:Daici Ano

「みらいかん」の敷地は、実はキャンパスの校門の外にあり、閑静な住宅街の中という立地です。学園には、これまでライトの明日館に始まり、初等部、女子部、男子部と綿々と引き継がれてきたビルディングタイプがあります。その様式を継承しつつ、キャンパスの外にあることでどこまで崩していいか、悩ましいところがありました。崩しすぎれば学園らしさが無くなることも明らかで、そこを学園側と話し合いながら詰めていく作業は、難しくも面白い体験でした。
ライトの明日館は、正面にエントランスはなく、芝生の前庭を迂回して両脇の小さな入り口から入るようになっていて、その形式は実は学園内のすべての建物に反映されています。このように基本的に自由学園の校舎は閉じたスタイルが多いのですが、「みらいかん」では、キャンパスの外にあるということと、学園として地域との連携も模索したいという要望もあって、あえて切妻の正面を開いており、地域の人も入ってきやすいような開かれた構えのファサードにしています。そこが様式として大きく変えた部分です。一方、用途、機能としては、中心にホールがあって小さいながらキッチンを設けるなど「生活即教育」という学園の理念はしっかり継承しています。子供の悩みをもつ地域の方が相談できるような小さな相談室も設けています。

自由学園「みらいかん」(2017年)エントランスホール

自由学園「みらいかん」(2017年)エントランスホール Photo:Daici Ano

木の使用について、具体的に教えてください。

自由学園は国内3カ所で植林活動を行なってきていて、今回使用した木(ヒノキ)は、そのうち2カ所の植林地、名栗(埼玉県飯能市)と海山(三重県紀北町)で調達しました。前者は1950年から男子部高等科の生徒たちが、後者は1966年から最高学部の学生たちが、代々引き継ぎながら育ててきたものです。ただ、育てる方は長年の蓄積がありましたが、使う方となると今回ほど大規模に使ったことはなかったそうです。そこで何度も現地に足を運び、林道を整備して重機を入れ、どのくらい伐採できるか計算し、製材、加工まで綿密な計画を立てました。伐採したものはすべて測量して、構造材、床材、家具用というように仕分け、つまり伐採してから使い道を考えるという設計をしました。
ファサードには径が一番大きい木を使っていて、ここは将来式年遷宮のように例えば20年に一度更新すると変化があって面白いのではないかという提案もしています。木は伐採して使っていかないと植林地が劣化していきますから、儀式として定期的に木を使うことを考えたアイデアです。

「みらいかん」で教育にはどのような変化が生まれるのでしょうか。

松井:もともと創設当時から実践されてきた教育は、親御さんにも教育に参加してもらうというものでした。昔は専業主婦がほとんどだったため、主に母親(調整できる方は父親)が当番で学校に来て、生徒のご飯をつくったり、積極的に教育に参加されていた。ところが今では共働きの家庭の方が多くなってきて、そういう社会の実情に学園の教育スタイルが適合する必要もあった。「みらいかん」で学童保育に力を入れたということ自体が、教育としての重点の変化だと思います。ゆっくりと流れてきた自由学園の時間軸においては、かなり未来的な転換期の校舎になっているのだと思います。

設計するにあたって、他の事例などを研究されましたか。

坂東:広島のインターナショナルスクールを手がけたときは、お施主さんの息子さんが「ル・ロゼ学院(Institut Le Rosey)」という世界的に有名なインターナショナルスクールの生徒さんで、ちょうど卒業するタイミングだったこともあって、スイスに視察に行かせてもらいました。そこの伝統的な建物やベルナール・チュミが設計したカーナル・ホールを見学したほか、スイスの他のインターナショナルスクールやイギリスのスクールも見せてもらった。国内では幕張インターナショナルスクールなどを見学しました。

松井:僕の場合は学童保育なので、手塚さんたちが設計した幼稚園などを見学しましたが、世の中で普通に運営されている学童保育の実態を知ろうと、地域のいくつかの学童保育施設を調べたり、見学したりしました。中には雑居ビルの中にあって、決していい環境ではなかったりして、学童保育のための建築を考えることは結構重要かなと思いました。そこがちゃんとしていると学校の魅力が高まると思いますね。日本の学校の教育はどうしてもカリキュラム重視なので、そうじゃないレクリエーションの部分で教育ができるという意味でも学童保育は面白いですし、これからの可能性を感じますね。

今回の新型コロナウィルス感染禍で学童保育が閉鎖して困った人もいたようですね。

松井:僕たちの世代はほとんど共働きですから、本当に重要で、実際閉鎖されると夫婦どちらかが働けなくなる。少子化とはいえ学校の機能としては拡張していくべきだし、地域が補填していくべき機能だと思っていて、これからさらに重要になるのではないかと思います。
自由学園の先生によると、1回学校から出て違う場所に行く行動が重要だとおっしゃっていました。なんとなく学校にそのまま残るという行為は、特に低学年の子供たちには心理的にあまりよくないそうです。他の子供は家に帰るけど、自分は帰れないという違いが出てくるのがよくないと。みんなで一緒に学校を出て帰っていくけど、行く場所が違う、そういう行動が結構大事だったりするそうです。空き教室をそのまま学童保育にするというのは理想とはちょっと違うかもしれません。

お二人それぞれのプロジェクトをお話しいただきましたが、坂東さんは松井さんのプロジェクトを聞かれてどのように感じられましたか。

坂東:まず木を都市部で使われているというのが非常に面白いなと思いました。地方に行くと地元の杉を使って欲しいというプロジェクトが多いですが、東京ではなかなかない。しかも森を開拓していくところから始まり、選んで運んで加工してと、なんだか聞いていてわくわくしました。それが継続的に使われていく仕組みまで設計の中に落とし込んでいるところはとても感心しました。
それから資料を読んだのですが、1階と2階で床の木を節のあるものとないもので変えていらっしゃいますね。アオバジャパンでは、予算が限られていたので、天井にお金を使うか、床にお金を使うのかとなったとき、アメリカ人の校長先生が床には絶対木を使うようにという指示がありました。学校建築における床と木の関係性みたいなものについて、どのようにお考えですか?

自由学園「みらいかん」(2017年)左:1階ホール、右:2階プレイルーム

自由学園「みらいかん」(2017年)左:1階ホール、右:2階プレイルーム Photo:Daici Ano

松井:床材の質を変えたのは、実は採れる木が限られていて、節ありと節なしが混ざって出てきます。もちろん単純に混ぜて使ってもいいのですが、森の木には同じヒノキでもいろいろな種類があるということをまず理解してもらうという意味で、あえて分けて使いました。木に節があるのは当然だし、でもないものもつくれると。特に「みらいかん」に通う子供たちは、まだ植林地に行く年齢ではありません。自由学園では高等科になると植林活動の教育が始まりますので、その前に木とはどういうものか、理解というより肌で感じ取れる場所にしようと考えました。木は均質にしてしまえばしまうほど当たり前のものに見えてくるので、できるだけ木の多様性を空間の中で見せられるようにしたわけです。

坂東:僕は徳島の産地によく行くのですが、そこではなるべく子供たちに木に触れさせようと、プラスチックのボールの代わりに木のボールを使ってボールプールを作ったりしていますが、それを日常的に床、柱や天井もそうだと思いますが、素材の差でからだに刷り込んでいくようなことをされているのですね。

松井:日本は本来木造の空間に暮らしてきた人種です。僕も田舎の家は木造で、縁側がすり減ってでこぼこした木の感触を思い出したりするような感覚があって、多分今の子供たちにはそういう体験がないと思うので、均質に作るよりも、柔らかい木があったり、硬い木があったり、ちょっとでこぼこしていたりするところが結構重要なのではないかと思っています。

松井さんは坂東さんのプロジェクトをどのように思われましたか。

松井:インターナショナルスクールという日本の学校とはおそらく全く違う教育に興味をもたれ、娘さんを通わせ、さらにそれが仕事につながっていく経緯がすごいなと。ある意味で理想的な建築家のあり方なのかなと思いました。それは仕事を取るという意味ではなくて、自分の生活そのものになっているところです。娘さんがこれから成長していく、その流れの中で建築家として身近なところから設計していくという姿勢そのもので、それは次代の学校をつくる近道のような気がしています。おそらく娘さんから学校でどう過ごしたか日々聞くことができますから、毎日が発見の連続だと思いますし、まさにライフワークとして実践的かつ論理的に設計活動ができる。また、日本の教育と海外の教育の間を行ったり来たりしながら深掘りされているので、その先に全く違う学校ができるのではないかと思いますね。

学校建築で建築家にできることとは何でしょうか。

松井:自由学園は私立の学校なので、公立の学校建築にあるような縛りが少ないため、自由な発想で校舎が検討できており、独自の与件があったりします。キャンパスの中に畑があったり、豚を育てる場所があったり、普通の公立の学校ではあり得ないカリキュラムの独自性みたいなものに学校建築は左右します。インターナショナルスクールもかなりそれに近いと聞いています。建築家が教育のカリキュラムにどこまで踏み込めるかという問題はありますが、使い方という部分で教育の自由度を広げる提案を積極的にやっていけば、可能性は広げられそうな気はしています。それが建築の中で難しい場合は外を使うことも考えられる。その外と中の中間領域、あるいはキャンパスとまちの境界領域をもう少し曖昧にしていくような操作は、既存の公共の学校建築のオーダーでも提案できると思います。

坂東:学校建築をやっていて、他と違うなと思ったのはクライアントの質みたいなもので、それは企業であれば経営トップであったり、住宅であればお施主さんですが、それともまた違う質です。というのは、私立の学校でも学校の中の先生たちには、ある程度の裁量みたいなものがあって、一言で決めてくれないというもどかしさが実感としてあります。今僕は京都市立芸術大学で教えていて、そこは乾久美子さんや大西麻貴さんたちが設計されたのですが、やはり同じことが起きている。誰もトップに立たなくて、常に曖昧な条件の中で設計者がもがきながら最適解を出さないといけない。
ただ、僕はそれが結構面白いなと思って見ていて、有機的な状態の中で答えを導き出していくというのが、建築家の能力として学校建築の中ではとても活かされるのではないかと思っています。それを可視化したのがシーラカンスさんの手法で、時間割と配置計画で論理的に説明していく。個別の形で表現するという手法もあると思いますが、そこは何か学校建築独特のクライアントの質だなと感じました。それから私立の学校は、ブランディングとして結構宣伝をしてくれるので、それにちゃんと応えられると、建築家も次につながりやすいのかなとも感じます。

松井:そうですね。少子化のため学校はどこもブランディングしたいと考えています。「みらいかん」を建てるときも、対外的に自由学園が新しい試みをしているということを訴える必要性がありました。それもあって、学校がこれまでやってきた教育を実践していますという意味で、生徒たちが代々育ててきた木を使っていますと、誰が聞いても理解できるストーリーをつくる。そうすると、建築がそれを体現したものであることが大切になってくるわけです。そのあたりを建築家から提案して、学校の教育の本質のようなものを示していければ、どんどんと建築家が参入できるようになるのかと思います。これまでの「必要だから校舎をつくる」というのではなく、生き残りをかけて学校をどう建築家と一緒に面白くつくれるかです。
公共の学校の場合は、教育の独自性みたいなものが少ないので、ただ必要だからあるという学校が多いと思いますが、その地域にしかない、ちょっと実験的な公立の学校などもありますから、リノベーションでもいいので変えていけると、何か突破口みたいなものがつくれるのかなと思います。

建築家が学校で建築について教えるとすると、どのようなことを子供たちに教えられると思いますか。

松井:毎日使っているもの、例えば家とか学校が、どのような理由でいかにしてつくられたか、自分たちが当たり前だと思っているもの、ことがどうやってできているかということだと思います。自分が今いる環境を当たり前だと思わず、何事にも疑問をもって接して欲しいなと。建築は誰もが使っているものなので、そんな話ができそうな気がします。実は「みらいかん」をつくったときに、子供たちに、木を切って丸くして、製材して四角くすると積みやすい、積み木みたいに組み立てていって建築ができるみたいな話をしました。そうすると興味をもつ子供たちもいました。そういうどこにでもあるものの成り立ちみたいなものをできるだけ低学年の子供たちに教えられたら面白いなと思いますね。

なるほど、坂東さんはどうですか。

坂東:構造的なことも教えることができると思いますが、どちらかというと僕は問題解決の手法みたいなものを教えられたらいいなと思っています。日々大学生やスタッフを教育するなかで思うのは、自分の頭で考えられる人と、言われたことはできるけど、なかなか自分で考えられない人との差をいつも感じていて、どうすれば自分で考えるスイッチを入れられるかを考えています。人から言われたからではなく、自分なりの解決方法を導き出していく、それはどうも建築家的な素養というか、普段自分たちがやっていることのような気がして、そういうことを授業にしてみたいなと思いますね。

入学時に必ず設計した人の話を生徒や学生が聞く機会を設けた方がいいと思います。そうすると、どういう考え方で教室、学校がつくられているのか理解できるし、さらにもっとこういう考え方、使い方ができるのではないかと、生徒や学生が考え始めるのではないかと思います。

松井:そうですね、それは究極の取説になりますね。ただ、建築家がユニークな校舎をつくった場合はいいですが、フォーマットでつくったものだと誰がやっても一緒ということになってしまいます。でも逆にそうすると建築家がつくる意味がどんどん出てくるかもしれない。また、説明できないことが出てくると、それは設計が間違っていたと言えなくもない。そうするとより学校についていろいろ考える機会が増えると思います。海外だと常に説明を求められますが、日本はあまりそういうことがないような気がするので、それはとてもいいことだと思います。

坂東:槇文彦先生がよくレクチャーで話されるエピソードがあって、槇さんが設計されたMITのメディアラボに来た学生たちの中に「なぜだかこの空間を知ってるような気がする」という学生がいたそうです。よくよく話を聞いてみると、槇さんが設計された加藤学園(暁秀初等学校、静岡県沼津市、1972年竣工・開校)出身だということがわかって、ちゃんと子供たちは空間の質を学んでいたということでした。非常にいい話だなと思って、そういう風によくある普通の学校で育つのとは違う何か、空間感覚まで伝えられたらいいなと思います。

松井:日本には義務教育でデザインや建築のことを教える授業がありません。フィンランドでは9歳くらいでデザインの授業があると聞いたことがあります。小さいときからデザインはどうあるべきか、設計とはなにかということを教えておくと、宣伝や広告に騙されない、自分の頭で考えてちゃんと選んで買い物ができるようになる。自分が設計しなくても、それこそ何かに投資するときでも正しい判断ができるし、住む場所を選ぶときもいろいろな視点から考えられたり、将来とても役にたつと思うのです。
これからの日本をどう変えていくか考えるとき、そういうところにヒントとチャンスがあるような気がします。そういう意味で学校建築は子供が育つ場所としてあるわけで、人間を形成していくうえでとても重要な環境であって、その環境を魅力的なものにするためには変えていかないといけないことがいろいろあると思います。

【写真】坂東 幸輔氏
坂東 幸輔 ばんどう こうすけ
1979年徳島県生まれ。2002年東京芸術大学美術学部建築科卒業。02〜04年スキーマ建築計画。08年ハーバード大学大学院デザインスクール修了。09年ティーハウス建築設計事務所。10年坂東幸輔建築設計事務所設立。10〜13年東京藝術大学美術学部建築科教育研究助手。13年aat+ヨコミゾマコト建築設計事務所。15年文化学園大学非常勤講師。15年〜京都市立芸術大学講師、京都工芸繊維大学非常勤講師。18〜20年A Nomad Sub株式会社代表取締役。20年〜京都市立芸術大学准教授。
【写真】松井 亮氏
松井 亮 まつい りょう
1977年滋賀県生まれ。2004年東京芸術大学大学院修士課程を修了。同年松井亮建築都市設計事務所設立。これまで手掛けた主なプロジェクトは、ミラノサローネのインスタレーション「Overture」、東日本大震災で損傷した蔵を改修した集会場「Rebirth House」、羽田空港の和食専門店「Hitoshinaya」、学校林の木で設計した木造校舎「自由学園みらいかん」等がある。主な受賞暦は、AR House Awards 2015 / Highly Commended・次点(英)、CONTRACTWORLD AWARD 2010最優秀賞(独)、AIT AWARD(独)、Restaurant and bar design awards(英)、JCDデザインアワード/金賞・銀賞・審査員賞(日)、JID AWARD(日)、Good DesignAward(日)等、ほか多数。

インタビュアー

中崎 隆司 なかさき たかし
建築ジャーナリスト・生活環境プロデューサー。生活環境の成熟化をテーマに都市と建築を対象にした取材・執筆、ならびに展覧会、フォーラム、研究会、商品開発などの企画をしている。著書に『建築の幸せ』『ゆるやかにつながる社会-建築家31人にみる新しい空間の様相―』『なぜ無責任な建築と都市をつくる社会が続くのか』『半径一時間以内のまち作事』などがある。

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